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「援助交際プレイ」がしたいぼくの「どうでもいい想像力」に対する憧憬
カテゴリー: 神保勇揮

文:神保勇揮

こういう風(タイトル)に書くとこいつはいきなり何を言い出すのだ? と思うかもしれないが、騙されたと思って読んで欲しい。子が親を殺し親が子を殺し、様々な側面で生活に対して圧迫感が見られる現在に本当に必要なのはこういった「どうでもいい想像力」だとぼくは考える。それがこうした露悪的な表現で現われてくる理由は文中で明らかにしていくが、露悪的な表現それ自体が逆説的に「聖なるもの」を明らかにするという構図はよくあるのである。
まぁ、本当に騙されたらごめんなさいということで。

というわけで以下がぼくの考える「援助交際プレイ」である。

①彼女、あるいは親しい女性を見つける。

②粘り強く交渉(時に土下座、時に金銭を介したり「今度飲みおごるから!」と必死に頼む)。

③いざ、当日。彼女に中学あるいは高校の制服を着てもらい、ぼくはスーツ着用そして頭をポマードでガチガチに固める。

④ラブホテルに入る。ホテル街に入った時点で彼女に腕を組んでもらえると良いだろう。中ではセックスでも飲み会でも人生相談でも、3時間過ごせれば何をしても良い。この辺りは事前の交渉とその女性との友好度、そして自身のアグレッシブさが試される。ただ、セックスする事が目的ではないということを忘れてはいけない。

⑤サービスタイムが終了した後、会計を済ませて外に出る。ここからが本番である。ホテルの外でぼくが可能な限り気味の悪いニタニタ笑いを浮かべ、「○○ちゃん、ありがとうねぇ」と言いながら財布から金銭を取り出し、彼女に手渡す。

途中に「ただ、セックスする事が目的ではないということを忘れてはいけない」と書いたが、ぼくがここで一番したいのは⑤の「可能な限り気味の悪いニタニタ笑いを浮かべ、「○○ちゃん、ありがとうねぇ」と言いながら財布から金銭を取り出し、彼女に手渡す」の部分であるからだ。
それは何故か。あくまでぼくがしたいのは、⑤を行う事によって「あ、あいつ援助交際してやがる!」と視線を浴び、あるいは視線を浴びていると勝手に勘違いするというシチュエーションそのものが面白いと思うからだ。それ以上でもそれ以下でもない。そこにフェティッシュは一切存在しない。そもそもセックスがしたいなら普通にすればいいだけだ。
そして、実現したとしても恐らく全くドラマチックな出来事が起こらず終わってしまうだろう。きっと面白いなんて微塵も思わずに終わるだろう。ホテルの外でお金を渡し合ってる女学生とサラリーマンがいたからなんだというのだ。冒頭に書いた「子が親を殺し親が子を殺す時代」の都市空間において行きかう人々は「街ではこういう非倫理的な事が平然と行われている。最低な時代だ」と憤るだけであり、そんなぼく(とその女の子)は誰かにメイワクをかけているだけであり、極めて自慰的なパフォーマンスでしかなく、その後に「あーくだらなかった」と笑い合うその瞬間のしてやったり感、あるいはその後に爆笑しながら飲む酒がうまいのだ。人生はそんなもんだと思う。

以前知人女性にそういうコンセプトも含めて本気で「俺はこれがやりたいんだよ!ね?ね?すげぇ面白そうじゃん?うわ、こいつら援交してる!みたいな(笑)一緒に職質とかされようよ?ね?俺が全部対応するから。あ、でも渡したお金は後で返してね。…あ、いや、嘘。そのお金で終わったら飲み行こう。俺が全部おごるからさ!」とお願いしてみたところ、見事なまでに「絶対にイヤ。っていうか神保ってそういうの似合わなくない?」と一蹴されてしまった。フリーキーな事柄に対して全く理解の無い女である。ふふん!だ。こういう女が日本の文化レベルを下げるのだ。ちょっとぐらいいいじゃんね。余談だがぼくは20代前後の女性が着る制服における似合わなさや無理している感じが大好きである。そういったある種の「不完全さ」にフェティッシュを感じているのかもしれない。

彼女がぼくに対して抱いていた疑問は恐らく「そんなことをして一体何になるの?」ということである。この「そんなことをして一体何になるの?」という疑問は二つの意味を内包している。一つ目は単純に興味がない・面白くないと思うということ、もう一つはそういう露悪的なことをやってアナーキーな気分に浸りたいんでしょう、そしてあなたは「何かが起こる世界」を期待しているんでしょう。ただ、あなたの方法論や理念では散発的に物事が起こっていくだけであってあなただけがそれ自体に楽しいと思うだけ。世界は何も変わっていかないわ。だから、誰かが迷惑と感じてしまうそんなことはそもそもしてはいけないのよ、ということである。

まぁ、その知人女性氏がそんな風に思っているかどうかは知らないのだけれど、この二つの意味を持つ疑問に対しては考えなくてはならないだろう。そして、得てしてそういった事まで考えられる知的な女性は、いざとなるとエッチだったりもするわけで(笑)←というこれもまたぼくのフェティッシュ。
たとえば去年外山恒一という人が東京都知事選に出馬し、「もうこんな政府は転覆するべきだ!」と演説した映像がYoutubeを通してサブカル的に人気を博した。あれも一種のアナーキズムであり、カーニバル化するなんちゃらであり、「何か」だ。ぼくはそういった「何か」を楽しんでしまうし心待ちにしてしまうし、こうやってここに文章を書かせてもらっている以上その楽しさであったりとか、大切さだとかを書き説いていきたいと思っている。ただ、本当に大切なのはその「次」である。外山恒一の話をすれば、彼が本当にどう思っているかは別として、都知事になり総理大臣になり政府を転覆しなければならない(そこまではいかなくとも、パフォーマンスそれ自体に満足してはいけないということである。外山氏に関してはあまり詳しくないけれど、スタジオボイスの連載とか自身のホームページは面白い)。それがこんな一瞬の花火みたいな活動で満足してしまって何事かという(それは外山氏だけではなく、その外山の営為を喜ぶ側にも当てはまる)批判は妥当である。そうなると上に書いた「二つの疑問」という問題が浮かび上がり、ぼくは知人女性氏との援助交際プレイに失敗するのだ。

ただ、ここでぼくがしたいと思っているのは別に政府を転覆させることではない。そこには何の理想も存在しない。「何か」をするということ、その方法論を確立すること、その楽しさを知らしめること、「どうでもいい想像力」を担保し養っていくこと、そのものが大切なんじゃないかと思う。目的がある/なしに関わらず方法論以上のものを見出してはいけない。たぶんぼくがしたいのはそういうことで、いわゆる「目的」のある人を紹介していくことが仕事なのだと思う。目的を持ってしまったらその時はその時でやればいいだけである。今はそこではなく、でも常にその「何か」を起こせる状態を担保しておくこと、それを大事にしたい。歴史を見ても、政治経済が困窮状態に陥って最初に規制されるのはイマジネーションなわけで。

というわけで、cinra magazine vol.17は現在鋭意作成中で、次の発行は4月頃でぼくもいくつかインタビューを担当させてもらったりするんだけども、この号ではひとつ「インディペンデント」という言葉がキーワードになっている(cinra magazine自体が毎回どこかでそういった側面はあるにしろ)。何らかの「目的」を持った人たちに影響されて享受する側が実践する側にまわってこそ、俯瞰的に見てインディペンデントな活動の役割がそれなんじゃないかとぼくは勝手に思っている(勝手に思っているだけなのでやっている人がそれを意識しているかどうかは別の話)。誰もやってないからこそインディペンデントでやるのであり、達成されたらされたで「体制化したカウンターカルチャー」の次を捜すのもまたインディペンデントなのだろう。そこにはいつも異様なエネルギーがあって、その現場にいられるということは実に幸せなことだと思う。

だから(?)、「援助交際プレイ」に賛同してくれるフリーキーな女の子も大募集中です。宛先はこちら(両方の人差し指を下に向けて左右させ、画面にはメールアドレスが表示される)。

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