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くるりの「開かれた」世界について。
カテゴリー: 神保勇揮

文:神保勇揮

「新しいものなんて何もない」なんてポップカルチャーの世界で言われていた時期がここ20年ぐらいあったみたいだけれど、相変わらずぼくはタワーレコードに行って新譜を買ってきてしまう。「新しいものなんて何もない」という言説そのものが、カルチャーの送り手の苛立ちだったり、それを受けて何かを発信するマス・コミュニケーション的なマッチポンプ(「そんな時代だけど新しい感性がここに!」みたいな)だったりするんだろうけど、まぁそれ自体はどうでも良くって、送り手は送り手なりに、マス・コミュニケーションの方はマス・コミュニケーションの方なりに(実際、本気になって探してみるとどのジャンルでも自分が接しきれないくらい素晴らしい送り手が山ほどいることに気がつくけどネ)、そしてぼくはぼくなりに問題提起や楽しい事があったりする。新譜を買ってリスナーでいる時のぼくは、素直に好きな作品を好きと言いたい。

そんなわけで前置きが長くなってしまったけども、先日発売されたくるりのライヴ・アルバム「Philharmonic or die」がすごくよかった。くるりという日本のロック史上でもかなり特異とされるであろうバンドの経緯からそれを読み解こうとするとあまりに長くなるし、インディー時代から最新スタジオ盤「ワルツを踊れ」発売までを神がかり的にうまくまとめているミュージックマガジン2007年7月号(この雑誌の特集の手腕はどれを読んでも惚れぼれする)があれば十分なので、今回はこのアルバムがいかにスゴいかという事を書こうと思う。
このアルバムがスゴいのは、まずとんでもなく「開かれている」ということだ。オーケストラをバックに従えたDisc1と、ローリングストーンズや村八分みたいな演奏のDisc2の差は方法論の差でしかない。

まず最初に「開かれている」という言葉を聞いてあなたはどんなものをイメージするだろう? カルチャー方面で言えばぼくは「売れ線」を想像する。その辺りについてはVol.16でも特集したし、良い面・悪い面両方ある。一番最初に書いた「新しさ」というものの多くは方法論に依拠するとぼくは思っていし、くるりがデビュー当時に背負っていた「オルタナティブ」というジャンルも「開かれている」「売れ線」とは別の方向で新しい音楽を切り開いていくものだったからこそ、そういうくるりが好きだった人からは「アンテナ」以降のくるりは良い印象を持たれないかもしれない。

しかし、このライヴ・アルバムはそんな「方法論なんてそんなの関係ねぇ!」と言わんばかりだ。ローリングストーン日本版で「Youtube、myspace以降の音楽シーンをどう捉えますか?」という質問を様々なアーティストに投げかける企画を行ったとき、R.E.M.のマイケル・スタイプは「ネットの発達でリスナーの耳が肥えて、本物の音楽しか通用しない時代になったと思うよ!」と答えていた。この「本物の音楽」って何だろう? と考えるとき、ぼくはこのライヴ・アルバムを挙げる。売れ線と言っても決してただわかりやすいだけの消費される記号(「きみが好き」だの「思い出の手紙が~」みたいな)ではなく、今までくるりを聴いたことの無いような人にまで届きそうな「強度」を持っている。強度っていうのはつまり、女の子に何の情報も与えずにパっと聴かせて良いと思うかどうかだ。知識や背景に依らない、「この瞬間」の幸福度をそれが上げるか下げるかただそれだけだ。岸田もミックスを相当拘ったとインタビューで答えていたし、実際Disc1のラストを飾る「ジュビリー」を聴いても、売れてきたロックバンドにありがちな「感動的な曲をとりあえずストリングスアレンジしてみました」といった安直さは一切感じないどころか、スタジオバージョンよりも感動してしまった。

つまり、くるりはオリコン1位になるJ-POPとは全く違った手法でそれと同じ規模の「開かれた」状態を作り出してしまったのだ。Disc1とDisc2を通して聴いても進歩史観的オルタナティブの文脈で見れば新しい事は一切やってないけど、これってすごく新しいことなんじゃないかな? 同時代的に横の軸を広げてみると、例えば散々ブログ界隈で語られ続けるPerfumeも近いものがあると思っている(興味がある人はコチラを参照のこと。この人は本当に素晴らしい文章ばかり書く人だと思う)。膨大な情報量をもたらしたインターネットが、逆に専門的な知識や背景に依らない良い意味での最大公約数的なものを検索の1番上に置いたのだとしたら、それはすごく「いま・ここ」なんだと思う。そして、それがきっとマイケル・スタイプの言った「本当の音楽」ということなんだろう。

もちろん、バトルズ(日本ならnhhmbase。あんなに開かれたポストロックは世界を見ても絶対にない)のように進歩史観的に「新しい音」を生み出すアーティストも日進月歩でたくさん生まれている。ただ、メジャーとかマイナーとか売れ線とかアンダーグラウンドとか、そんな区分で喜んだりそれを貶したりするのはもう「古い」じゃんか。ともぼくは思うわけである。フジロックのホワイトステージを人で埋め尽くしたバトルズのライヴの感動をぼくは忘れられないし、全てをフラットにしたネット以降だからこそ、開かれた音を発見させてくれたくるりはこれからも「新しい」ことをしてぼくたちを魅了し続けてくれるだろう。

というわけで、現在深夜2時半なんだけどもこれから「開かれた記事」を目指して編集していこうと思う。万作さん、こんなの書いててごめんなさい!

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