伝説のDJ高橋透が語る
「感じなきゃ、分かんないこと」
インタビュー:mico、柏井万作
撮影:柏井万作
高橋透 Profile
1957年生まれ。70年代からDJ活動を開始し、80年にニューヨークへ移住。伝説のディスコ「パラダイス・ガラージ」など本場のダンス・ミュージックを体験し、89年に芝浦ゴールドのオープンのため帰国。メインDJとして日本にハウス・ミュージックを浸透させた。現在は、宇川直宏、ムードマンと共にパーティー「GOODFATHER」を主宰している現役トップDJの一人。
リード文
数々の伝説を体感し、また自ら生み出してきた歴史の生き証人「DJ高橋透」。自ら「我慢できない人間」というように、自分の想いに忠実に生き続けてきた高橋透の生き様を追った。
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ガラージで僕が体験した音楽に
日本中が夢中になるだろうなって確信があった。
本文
―透さんは地元長野でディスコに出会って、会社を辞めてすぐ東京に出てきたんですよね。会社を辞めて地元を飛び出すのに迷いはなかったんですか?
全くなかったね。僕は絵を描くのが好きで、本当は東京の美大に行きたかったんですよ。でも、家庭や色々な事情で行くことができなかった。そういう悔しさを持ちつつ就職したんだよね。だから全然迷わなかったよ。
―それはアメリカに渡るときもですか?
そのときこそ本当にまったく迷いなんてなかった。僕は単純に言うと我慢できない人間なんですよ。これ見たい! これ知りたい! この人に会いたい! と思ったらスグに行動に移さずにはいられない。NYは「とりあえず行こう!!」って感じだったけど、「行けば何とかなるだろう」と思ってたんだ。NYには友達もいないし頼るものだってなかったけど、とにかく行きたい! という思いが強かったから。
―でも結局、何とかなっちゃうんですよね?
うん、何とかなる(笑)。 1週間、脱脂粉乳の缶で煮たご飯に七味唐辛子だけで乗り切ったこともあるよ。でも、やりたいことを我慢するのに比べたら、食べれないなんてツライとも思わなかったよ。それにそういう極限状態があるから、何とかなるっていう意識もある。
―そして伝説のディスコ「パラダイス・ガラージ(※)」と出会うんですね。
※ニューヨークのKing Streetに1980年代に存在していたディスコ。客層は主にゲイの黒人であり、伝説的なDJ、ラリー・レヴァンがプレイしていた。ラリーは幅広い音楽の知識を元にディスコ、ロック、ヒップホップ、ラテン音楽、ソウル、ファンク、テクノ・ポップなどありとあらゆる音楽を掛けて一晩中客を踊らせ、その有様はそこに集う客の熱狂を伴って殆ど宗教儀式のようであったとさえ言われている。多くのニューヨークのDJがパラダイスガレージとラリーのDJスタイルに衝撃を受けてDJの道へと進み、現在に至るも史上最高のクラブの一つとして語り継がれている。(Wikipediaより)
NY行ってから、毎週末必ずパラダイス・ガラージに行ってたよ。ガラージが閉じちゃうまで、2年間ずっとね。ガラージは本当に凄かった。こんな影響力を持つダンス・ミュージックは他にないって。ハウス・ミュージックって、81年から84年まではシカゴだけだったけど、ラリーがガラージでかけ始めたら、半年で世界にまで飛び火しちゃった。本当にガラージの影響力は圧倒的だったんだよ。
―そして本場での経験を活かして、帰国後に「芝浦ゴールド」を立ち上げたんですよね。
ガラージで僕が体験した音楽に日本中が夢中になるだろうなって確信があった。そのときにゴールドの話が来たわけですよ。こんなタイミングはないと思って帰国したんだ。ガラージでこんなヤバい体験をしている人自体他にはいなかったから、NYの衝撃は自分が伝えなきゃっていう使命感のようなものがあった。そのために必要なのは音楽だけでなく、音響システムが絶対条件だった。素晴らしい日本にない音響システムを作って、ハウス・ミュージックをかけたら絶対に流行るっていう自信があった。だから絶対僕にDJをやらせてくれって。それは真理みたいなものだったね。
―日本とアメリカの文化や人柄は大きく違うと思いますが、結果としてパラダイスがラージを日本で再現することはできたんでしょうか?
ガラージを日本で「再現」しようとは思っていなかったんですよ。ガラージとかNYで教わったことを、僕のフィルターを通してみんなに教えてあげたいという感覚です。日本には日本の文化があるから、アメリカでやってることをそのまま持ってくればいいってわけじゃない。だからその辺はよく考えたのね。
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「感じる」ということは人を変えてしまう力がある
―ゴールドはボディコン、サラリーマン、芸能人、OLなどなど、本当に雑多な客層が遊びに来てたと聞きますが、今のクラブって、一部の音楽ファンだけしか行かない場所になってますよね。この10年で、何がそんなに変わったんでしょうか?
音楽が細分化されたのが大きいと思うよ。70年代は何処に行っても同じ音楽がかかっていたんですよ。ディスコですよ。ソウル・ミュージックがかかっているわけ。で、80年代以降そこにニューウェーブが出てきて、ロック好きが集まる箱とか、ハウス、テクノ、レゲエ、ヒップホップなどなど、音楽を中心にコアな客層が集まるようになった。それが今はどんどん細分化されて、ツバキハウス以降、クラブD、ゴールドまで脈々と受け継がれてきたファッションとかアートとか音楽とかが共存している場所が全くないんですよ。音楽だけになっちゃった。
―確かに今は音楽ありきですよね。
クラブは大人が夜な夜な遊びに行くクリエイティビティの塊でなければならないと思うんです。照明のセンスがすごくいいとか、飾ってある絵だとか、お洒落だったりとか。それが今、音以外のものはどうでもよくなってしまって、最終的には音の種類だけを見るようになった。ハウス行く人はテクノ行かない。ロック行く人はヒップホップ行かない。「今日は●●が出るから行こうよ!」って今は言うけど、別に誰がやってるかはどうでもいいわけですよ。「ゴールド、ループ、イエロー行こうよ!」って、場所に集まる感じだったんだけどね。
―雑多な客層というのも失われましたよね。
バブルの影響はあると思うよ。ゴールドなんて入場料5000円たっだけど、色んな人が集まってたからね。
―5000円払ってでも行きたいという場所、今はなかなかないですね(笑)。
みんな音楽だけを求めてゴールドに来てるわけじゃなかった。「音ヤバいよ。DJヤバいよ。」っていうのはもちろんだけど、それ以外のものがあったわけですよ。やる側だって、毎回500万くらいかけて遊びを用意していたしね。
―こうやってお話を聞いていると、今のクラブは遊びを提供するというより、もっとビジネスに近いのかな? って思ってしまいますね。
ゴールドに関しては、まず自分たちが行きたい場所、自分たちが楽しいと思える場所を作ろうというのがあったんですよ。「話題を作ろう!」「東京で一番楽しい場所を作ろう!!」っていう。だから、「お風呂欲しいですよね」「じゃ作っちゃおうよ」ってなるんだけど、それが営利になってくると面白くないわけ。ゴールドも、バブルがはじけてから営利に走りそうになったことがある。そうするとやっぱり面白くない。そうすると、風呂が欲しいから風呂作ろうにならない。どんどん保守的になっていく。
―そして、オープン当初に集まってた面白いスタッフたちがいなくなる中、透さんはただ一人ゴールドに残ったんですよね。
そうだね。ゴールドを閉じるのはもともと決まっていたから、ゴールドもガラージのように人々に惜しまれながら終わらせたいと思ったんだ。自分が幕を開けたんだから、ちゃんと自分で幕を降ろしたかったんです。自分の全てをかけて作った箱が、こんな形で終わるのはありえないだろう! そう思った。それで、最後に一年だけみんなを再結集して、ゴールドに象を呼んだり、色んな企画で盛り上がって。だから終わり方はとても良かったと思います。
―いつかゴールド規模の、あの空気というのは戻ってくるときがあると思いますか?
それ、すっごく難しい質問かもしれませんね。例えば、「すごい箱ができたらしいから行こうぜ!」って誰かが言っても、「音楽は何? DJは誰?」って話しになってしまう。そこから変えていかないと、なかなか難しいと思うんだよね。
―透さんはサウンドシステムも問題視していますよね。良い音出せる箱がなくなったと。
80年に出せてた音が、27年経った今出せないこと自体おかしいよ。自然に考えて、昔よりも良いものがもっと安く作れるはず。いいサウンドシステムがあれば、音楽の本当の魅力を人に伝えることができるんだけどね。今は地味なサウンドシステムでも、野外のパーティとかフェスとか、分かりやすいものにみんながシフトしていったという感じはあるよね。
―つまり私たちの世代って、「本物の音」すら体感できずに育ってきているわけですよね。そうすると次の世代に伝えることもできず、失われていっちゃう怖さを感じます。
僕らの責任かもしれないけど、そういった大事にすべき場所が伝わっていないかもしれない。ゴールドを知ってる人なら分かるんだよ、「感じる」ということは人を変えてしまう力があるってことを。本当にすごいものに出会ってしまったらそれに突き進むしかないと思う。でも、偶然そういう場に出会うケースなんてほとんどなくて、基本的には自分で動かないとダメなんだ。
―確かに透さんは仕事辞めて東京に出たり、NYに住んだり、何の保証もないけど自分で決めて動き出しましたね。
そうだね。でも、「まず動け」と言ってもすごい難しいと思うの。動こうとする最初の意識をどうするかなんだよね。僕らの時代は情報がないから自分で探して感じてみないと分からなかったけど、逆に今は情報過多なんですよ。インターネットの影響は本当に大きいと思います。そこに行かなくても分かった気になっちゃうところはあるよね。
―今はNYに行かなくても、そこで何がどんな風に行われているか情報として入ってきます。行った人が「●●が凄かったよ!」といっても、情報としては「うん知ってる」と言えてしまう。だけど、それが本当に自分にとってどうなのかなんて体験しなきゃ分からないですよね!
そうそう。僕の場合は「行って自分で判断します!」だよ。「あの人あんな風に言ってたけど、大したことないじゃん」とか、「実はヤバいじゃん!」みたいなことだってあるわけですよ。
―透さんがさっき言ってた「情報量」の問題は大きいですよね。選択肢がありすぎるから自分の選んだ選択に自信がなくなってしまうし、何か言うにも、まずはみんながどう考えているか検索してしまったり。
僕の場合は自分と関係のないものを見ている暇なんて1分もなかった。全く。世間はどうかなんて全く関係なく生きてきた。自分のやりたいことで精一杯だったからね。自分の人生と全く関係のないことで盛り上がることほど無駄なことってないですよ。はっきり言って。もっと自分のことを考えた方が良いだろうと思うけど。大事なのはやっぱり核心を持っていることだよね。「コレ取られたら俺生きていけないよ!」みたいなものを。それがあれば例え今苦しんでいたとしてもその意味が分かる。僕みたいに飯を一週間食えなくたって何とかなっちゃうんですよ。
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今はチャンスだと思うんですよ
―透さんはゴールドの閉店後、99年から現在まで宇川(直宏)さんとムードマンさんとパティー「GODFATHER」で全国を回っていますよね。8月の静岡とか、本当に良かったらしいですね! 今は東京より地方の方が面白いですか?
地方の方がよっぽど面白い。それを東京の人は全く分かってないよ。昔みたいに時差がないから、東京より新しいことやってる場所も多いし。それに、人がその場所に根ざしていると思う。昔は色んな部分で東京がリードしていたけど、今そうじゃないのは寂しいね。
―なんで東京は面白くなくなっちゃったんでしょう? 条例の問題ですか?
それもあるかもしれないけど、「今日行かなきゃヤバい」っていうのが東京にいるとないですよね。音楽やDJを求めているなら、東京にいれば「次やる時でいいか」って思っちゃうでしょ? そうやって、どんどんその場を楽しまなくなってしまっているんじゃないかな。
―それはあるかもしれませんね。
遊びを作る側も、音楽やDJをブッキングして終わりになっちゃうけど、それだけじゃ足りないと思うんだよ。要するに、お客さんへのサプライズが足りない。だからどんどん飽きてきちゃう。やっぱりパーティをやる側の責任は大きいと思いますよ。
―ゴールドの演出は伝説的だったらしいですね。それこそ象をつれてきちゃったり。朝になるとフロアに紙吹雪が何十センチも積もってたり、紙吹雪を切るだけのためのスタッフだっていた。箱、つまりパーティをやる側に熱を感じますよね。
重要なのは一生懸命遊びを作るってことですよね。遊び場を大人の感覚で一生懸命やるってこと。遊び場だから逆に真面目にやらないと。その集大成がゴールドですよ。
―話を聞けば聞くほどゴールドを体験できなかったのが残念だし悔しいです。
大事なことは、本物を伝えるってことですよね。今何が流行ってるからこれやりましょうとかそういうんじゃなくて、誰のものでもなく自分の感覚で良いと思ったものを突き詰めることが重要。頭じゃなくて人に感じさせることが重要。それが時間かかっても一番の近道だと思う。何も宣伝なんていりませんよ。今は宣伝ありきで動いている気がするけど、自分の感覚を信じてやるだけで。今はそういうものが少ない。だから逆に、今はチャンスだと思うんですよ。
―そうですね。本当に良いと思うことを突き詰めていけばちゃんと響いていくって、CINRAをやっていても強く感じます。透さんはそうやって30年続けてきて、色んな時代や場所を経験してきたわけですが、DJプレイをしていて、10年前と今と、どちらが気持ち良いですか?
今の方が良いね。全然良い! 30年キャリアを積んだお陰で、フロアにいるお客さんの気持ちをよりダイレクトに「感じる」ことができるようになった。だからこっちもより気持ち良いことを提供できてる実感がある。すごく充実していると思う。だから今はちょっとやめられないね。
―透さんをそこまで惹きつけるDJの魅力って何でしょうか?
「フロアの人たちを感じさせたい!」という気持ちが自分のDJプレイの核なんですよ。テクノだろうが、ハウスだろうがジャンルなんて関係ない。とにかく伝えること、感じさせること。30年やってていつも思うんですよ。その日5人DJがいたら、その中で誰よりも感じさせるDJをしたいと思う。何処でやろうと、自分の出番が何番目だろうと、ただ「誰よりも感じさせてやりたい。」「どのDJよりも感じさせてやりたい」。むしろそれしかないですよね。それが本当に楽しいんですよ。やってる僕が楽しいんです。そのためにレコードを選んでる。だからDJは止められない。20年後もレコード買ってますね。(fin)
「DJバカ一代」
高橋透(著)
http://www.amazon.co.jp/DJバカ一代-高橋-透/dp/4845614219
伝説のDJ高橋透が語る
「感じなきゃ、分かんないこと」
編集後記
「LoveとDubの間のリアル」
文:mico
ある雑誌で「祝!高橋透、DJ30周年」という記事を見つけた。それが高橋透というDJを知ったきっかけだった。自分の父親と同い年の現役DJがいるのか! と。
実際、この記事を最後まで読んだ人に言いたいことはただひとつ。高橋透のDJを体感してほしい。何故なら3時間にも及ぶこの取材の本当の意味は、ここに完結しないからだ。「感じることは、人を変える力がある。」
本インタビュー中で「何故ひとりだけ、最後まで芝浦ゴールドに残ったのでしょう?」という質問をしたのだが、その答えはすでに彼のDJプレイの中にはっきり提示されていた。音で空間を創るDJという行為はつまり、物語を紡ぎ出すということ。そして芝浦ゴールドは、DJ高橋透の表現の場であると同時に、それ自体が彼の5年間の命をかけたロングセットだった。
高橋透は言う。「10年以上経ってやっと、自分を“ゴールドの高橋透”と呼ぶ人はいなくなった。それがすごくありがたい。何故なら、自分は進化し続けているのだから、と。昔はよかったなんてノスタルジーに浸っていてもしょうがない。今、フロアに居る人を120%感じさせてあげたい。誰よりも。」
「感じること」はときに人の人生を180度変える力がある。
この記事を“きっかけ”に、現場に脚を運ぶ人がどれだけいるだろうか? 30年という間、現場を踏続けてきたDJだけが紡ぎ出せる音がある。ストーリーがある。そこにはDub(狂気、闇、ぶっ飛び感)もLove(暖かさ、愛)も存在する。陰と陽が競存する世界。それが人間、それがリアル。それを音によって体言するのが高橋透というDJなのだ。
DJバカ一代高橋透、“人生のロングセット”は続く。
高橋透、宇川直宏、ムードマンによる全国クラブ巡業“GOD FATHER”、来年でいよいよ10周年アニバーサリー!!! 常に最先端、想定範囲外のとんでもない事件の匂い漂うこのパーティ、いつ何処で開催されるか分かすら分からない存在自体がサプライズ!!!!
こりゃヤバい! 何としてでも行かないと!!!
