CINRA.NET CINRA MAGAZINE CINRA RECORDS exPoP!!!!! CINRA MAGAZINE Volume17

Review House 伊藤亜紗・黒瀬陽平・筒井宏樹
時代に合った「批評」の在り方を模索する

取材:柏井万作、幾代沙緒里
構成:柏井万作、松本香織
撮影:井手聡太

伊藤亜紗(編集長)
1979年生まれ。美学を専攻。文学とダンスに特に関心。

黒瀬陽平(編集)
1983年生まれ。美術家、アニメ評論家。 東京藝術大学大学院美術研究科先端芸術表現専攻修了。

筒井宏樹(編集)
1978年生まれ。美術をめぐる言説に関心あり。

『Review House01』レビューハウス
定価:1000円
判型:A4変形
ページ数:96p

<最新号のコンテンツ見出し>
INTERVIEW
青木淳悟(小説家)
nhhmbase(バンド)
横内賢太郎(画家)

REVIEW(執筆者一覧)
奥村雄樹、大谷能生、木村覚、手塚夏子、土屋誠一、小口尚思、伊藤亜紗、田中功起、平井玄、杉原環樹、星野太、大森俊克、黒瀬陽平、荒木慎也

小説+ドローイング
仙田学+西森瑛一

lecture
林道郎

WEB SITE

<本文>
ちょうどこの特集を企画している最中に、『Review House』(以下、RH)という批評雑誌が創刊されるというニュースが飛び込んで来た。それも、まだ20代の若手批評家たちが、「“今”の作品を“今”の人が語る」というコンセプトで編集を手がけるというのだから、興味をそそられる。そこには既存の「批評」とは違った、まさに当誌が考える「たのしい批評」の方法論が示されているのではないか、そんな期待に心が躍ったのだ。

すぐさまRHに取材を申し込み、編集長の伊藤亜紗と中心メンバーの黒瀬陽平、筒井宏樹に会うことになった。取材まで時間がなかったので、まずは本誌をパラパラとかいつまんで読み進める。雑誌が売れない今のご時世、紙の雑誌を創刊するというのは難しい決断だ。「だからこそ紙で出すんだ!」という反動的な情熱から創刊される雑誌もある中で、RHは紙である必然性をもった雑誌なのがよく分かる。「見開き2ページの批評実験」というキャッチコピーに違わず、開いたページは書き手と批評対象専用のスペースとして存在し、読者を交えた三者のコミュニケーションを阻害する要素がどこにもない。見開きに許された4000〜5000字という文字数には、書き手が対象を語るための様々な方法を見出せる自由度があり、興味本位で読む読者にも疲れにくい情報量だ。そして何よりもこの雑誌作りに興奮させられたのは、ページをめくるごとに脈絡なく現れるジャンルレスな批評が、難解な学術用語を極力使わないように意識して書かれていることだ。これなら、それほど知識がなくても楽しむことができる。こうした誌面の作り方からも、この雑誌がある程度、「批評」の敷居を下げようとしていることが分かる。それについて、編集長の伊藤はこう語る。

「『批評』に興味がない人たちにも、楽しんでもらえるようにしたいとは常々考えています。人に喋るような普通の言葉で書いてほしいと、書き手の皆さんにお伝えしているし、実感をもって考えられた事柄なら、わざわざ現代思想の言葉を借りなくても表現できるはずなんですよね。そういうジャーゴン(専門語)みたいな言葉を入れてしまうと、不必要な敷居をつくってしまうことになりますから」。

現在の「批評」に対する意識が伺える伊藤の発言だが、その背景にはやはり、大抵の人が敬遠しがちな「批評」という言葉そのものの問題も存在しているようだ。黒瀬は言う。

「『批評』という言葉を出した瞬間に、みんながネガティブなイメージを抱えてしまうような状況があるし、それはやっぱり良くないと思うんです。だからぼくたちも、『批評』という言葉を使うかどうか、かなり悩みました。今、『批評は本当に必要か?』とか、『批評の場所はどうなのか?』とか、『批評』についての論争が増えてきていると思うんですけど、『批評』という言葉に対するイメージが人や世代によって異なっていると思うんです。例えば、アニメ批評をやろうと思ったら、いろんな人のブログを見なきゃいけなくなるんですけど、『ブログに書かれているようなことは批評じゃない』という人もいるわけです。ライトノベルを読まない人が『あんな日本語は文学じゃない』と言うのと一緒で。そういう問題を一手に解除するのはものすごく難しい。だからぼくたちは、そういった問題に真っ向から取り組むのではなく、批評的な言葉を作品の情報と一緒に発信する『レビュー』という形をとることで『批評』に対する悪いイメージを解除していきたいと思っているし、そっちの方が建設的だと思っているんです」。

問題提起することももちろん重要だが、もし問題を本当に解決しようと思うのなら、行動を起こす、つまり実践していく必要がある。RHには「批評復権!」を標榜するような押し付けがましさは一切なく、「批評」という表現の様々なバリエーションを掲載する器として存在しているに過ぎないかもしれない。でも、この雑誌が今後も定期的に発行されていけば、彼らが考える「批評の在り方」も少しずつ世間に広まって、「批評」にこびりついたネガティブなイメージを溶かしていく力になるだろう。ぼくがそんな可能性をRHに感じてしまうのは、彼らが高い問題意識を持っているから、ということではなくて、「書くのが楽しくて仕方がない!」という嬉々とした表情が誌面から感じ取れるからだ。あまり論理的な話ではないけれど、「好き」に勝る力はない。自分が好きなものを分析し伝えようとする批評家たちが、本当に批評を愛しているなら、批評の魅力を伝えていってくれるはずだ。
では、彼らが批評文を書く楽しみはどこにあるのだろうか。

「ぼくは名古屋の大学のデザイン科にいたんです。そうすると、例えば先生たちが授業で『この絵が良い』って評価したりするんですね。でも、ぼくには何でそれが良いのか分からなかったんです。それが『良いとされる理由』を知りたいと思って、美術批評をやろうと思いました」(筒井)

「ぼくはもともと絵画論をやっていて、絵を分析するんですが、はじめは自分が好きだと思う絵について、それを語る言葉があること自体にすごく興奮したのがきっかけだったんです。『なんで好きなのか』を説明できる。それを続けていたら、いつの間にかアニメ評論家になってしまった(笑)」(黒瀬)

「パっと見てすぐに分かっちゃうような作品には、書くという欲求があまり生まれないかもしれないですね。分からないものが分かって、それを言語化するのが楽しいんです。半年くらいモヤモヤと自分の中に溜まっていた分からない作品が、あるときふっと分かったり。原稿を書いている最中に分かることもある。私にとって『批評』は快楽なんです」(伊藤)

彼らの回答が特殊かと言えば、決してそうではない。恐らく批評家のほとんどが、彼らと同じような答えを口にするだろう。ただ当然ながら、批評という行為は批評家にだけ許された快楽ではない。例えば、今あなたが読んでいるCINRA MAGAZINEの音楽プレイヤーから流れ出た楽曲を聴いて、その作品を「いい」とか「よくない」とか感じたとする。そのとき、「なぜいいと思ったのか」「なぜよくないと思ったのか」の、「なぜ」を言語化してみるのは、誰にだって出来ることだ。RHは「批評」と呼ばれるその行為が純粋に「たのしい!」ということを教えてくれる。編集長の伊藤自身、「批評家」という一人の表現者として作品と向かい合っていることが、RHという雑誌の作り方にも大きく影響しているようだ。

「誰でもまっさらな状態で作品に出会うことはないわけで、みんなそれぞれ違うバックグラウンドを背負っているわけじゃないですか。だから当然、批評にひとつの基準なんてないし、RHという場所があれば、その多様性みたいなものを確保できるんじゃないかという幻想を持っているんです。だから書き手は批評家じゃなくてもよくて、アーティストでも、研究者でもいい。『作品に出会う』ということに対して真剣であってほしい」。

「批評実験」という名の下、様々なバリエーションの批評を掲載するRH。批評には「こうでなければならない」という定型などあり得ないし、作品の存在なくしてはそもそも成立しない。それを考えれば、作品を取り巻く時代や環境の変化に伴い、批評の方法論も共に変化していくのが必然なのかもしれない。今後の展望を話す黒瀬の言葉を聞いて、RHがこの先、そうした変化を模索する先鋒になるのではないかと、やはり期待せずにはいられなかった。

「普通の人の生活には、アート作品をはじめとする作品なんて、あまり関係ないわけですよね。それを関係あるものにするために言葉が入ってくるわけで、作品と人の間に入ってくるツールが批評だと思います。RHでは、そのバリエーションをたくさん見せたいんです。紙媒体で出したことに価値を置きすぎてはいけないと思っていて、紙のRHをひとつのプラットフォームとしながらも、今後はウェブとかラジオとかブログとか、もっと幅広く動いて、開いていきたいと思います」。

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