CINRA.NET CINRA MAGAZINE CINRA RECORDS exPoP!!!!! CINRA MAGAZINE Volume17

<コーナータイトル>
巨匠ism 〜余は如何にしてクリエイターとなりし乎〜
取材・構成 松本香織
(2008年2月22日取材)
<コーナーリード>
どんなビッグネームでも、修行時代を経て現在に至っているはず。本連載では、各界の巨匠たちをゲストに招き、デビュー前夜から「オレ流(巨匠ism)」を築き上げるまでの苦労話、現在の創作活動にいたるまで、セキララに語っていただきます!

第1回目のゲスト
榎本俊二先生(マンガ家)

<キャッチ>
もっとシュールに、もっと殺伐と

<リード>
一般読者から批評家に至るまで、「哲学的なのにおもしろい」「シュールで深い」と賛辞を惜しまぬマンガ『ムーたち』。その作者である榎本俊二先生(イケメン!)は、日本映画学校在学中、20歳の時に不条理4コマ『GOLDEN LUCKY』で「モーニング」からデビュー。シュールかつグルーヴ感溢れるその作風は、よしもとばななさんやラーメンズの小林賢太郎さんほか、多くのマンガ通に絶賛される一方で、一部読者の「笑いどころが分からない」という反応を引き起こしました。天下のメジャー誌でとんがった作品を発表し続ける榎本先生、何ゆえマンガ家を志し、何を思って描き続けているのか? CINRAのエノモト番・松本摂がお訊きしました★

<デビュー当時の写真のキャプション>
デビュー当時、『GOLDEN LUCKY』を描いていたころの榎本先生。ハタチです

<本文>
― 日本映画学校在学中にデビューされましたけど、なぜ映画の仕事に進まなかったんですか?

榎本 映画って、あんなに大人数がかかわるたいへんなものだとは、本当に思わなくて。個人プレーできるものだって思っていたんですけど、それはダメで、和を大切にしながら自分がやりたいことをやっていく。即決できないんですね。

ゼミは脚本にいったんですよ。一度書いたら、後は任せちゃえばいいからと思ったんですけど、映画のシナリオを一本書くほど集中力が続かなくて、たいへんだったんですね。もっとサクッとできるものがよかった。そういう意味では、マンガは本当にもう、道具をそろえて、アイディアを考えて、描いて――って、より一人でできるだろうって考えたんです。

― 個人作業がベースの仕事ってたくさんありますよね。その中で、なぜマンガを?

榎本 マンガ家じゃない人は、売っているマンガを読むと、たぶん「こんなの描けない」と思いますよね。

― 思います。絶対無理。

榎本 同じ顔なんて何度も描けないし、車を描いたり、風景を描いたり、いろんなポーズを描いたり――とてもマネできない、って自分も思ってたんですよね。でも、子どものときから絵を描くのが好きで、似顔絵とかイラストだったら、「榎本、描いてくれよ」みたいな位置ではあったので、得意分野といったら絵を描くことかな、っていうことで。

絵を描く仕事も、イラストレーターだったり、美術家だったり、デザイナーだったりって、いろんなのがありますけど、どれも難しくてたいへんそうな気がしたんです。マンガは読んでいて好きだったし、ちょっとしたふざけた感じの絵だったら、一番楽にできるんじゃないだろうかという気がしたので、やってみようかなって。

客観的に見て、とてもじゃないけどマンガ家のレベルに達していないということは、わかっていたんですね。じゃあ、映画の世界に戻ってヒーコラがんばってみるかというと、そんな根性がなかったので、残り少ないアイテムをつなげてみて、短絡的に「マンガ」と。

― (笑)

榎本 しかも4コマだと短くてすむから、ちょっとの集中力で作品を描けるっていうふうに思ったんです。それで学校に行きながら、ページ数の少ないギャグマンガで投稿を始めて、投稿3回目で「モーニング」の佳作にひっかかりました。それで半年くらいでしたか、ネタを溜めては「モーニング」担当編集の藤沢さん〔注:デビュー前から榎本先生を支え続ける女房役の担当編集者。あとがきマンガなどに「担当F氏」として時々登場〕に見せに行き、「こういう方向でまた描いてきて」っていうやりとりを繰り返して、本誌に1回載せてもらったんです。そのあと連載が決まり、今に至るっていう感じで。

気がついたらマンガ家になれていた、っていうのが本当のところで、歯を食いしばってがんばったっていうのは、マンガ家になる過程の中ではなかったんですよね。たとえばそこで「でも、映画の仕事をしよう」ってがんばったら、きっと苦労したんじゃないかな。それでいい話もできるのかもしれないですけど、僕はキツイとすぐそれはあきらめてしまって、「これがダメなら、じゃあ次どうする?」みたいな感じの連続だったので、楽してマンガ家になれたとは思わないけれど、かなりスムーズに、つまずきなしでなれたと思うんですよ。マンガ家になってからは、まあ、トントン拍子で。トントン拍子、の間に……。

― いろいろありますよね。

榎本 ずっとキツかったんですけど……、それはキツかった。

― マンガ家生活の阿鼻叫喚については、あとでじっくり聞かせてください(笑)。そもそも、先生の原点は映画だと思うんですけど、高校生のころから撮っていたみたいですね。

榎本 高校に、「映画研究部」っていうほとんど機能していない部があったんですね。金を出し合ってレンタルビデオ屋でビデオを借りて、それを観てダベって終わり……みたいな、実際に映画をつくった実績はない部だったんですけど。そこに同級生の仲いいやつと2年のときに入って、「じゃあ撮る?」みたいな話になったので、8ミリカメラと機材を調達して、「世にも奇妙な物語」の出来を悪くしたようなミニサスペンスを撮ったりしていたんです。
そのうち、「もうちょい長いのを撮ろう」ってことになったんですね。当時はアクション映画が好きだったんです。特にジャッキー・チェンの「プロジェクトA」みたいに、死と隣り合わせ……ってやつが。実は中学生のとき、遊び半分に友達の8ミリでアクションを撮ったことがあったんですよ。サンダーバード2号の発射台みたいなのを板でつくって、そこを自転車で走ってきて、ジャンプして、それだけを撮ったり。そのとき、「ああ、かっこいいジャンプだなぁ」と思ったりしたので、今回もそういったテイストで、と。

― それが阿部和重さん〔注:『シンセミア』『グランド・フィナーレ』などの作品で知られる映画に詳しい小説家。榎本先生とは、日本映画学校在学中からのつきあい〕が褒めていた「鋼鉄のハゲ」という作品ですね。

榎本 はい。スピルバーグの「激突!」っていう映画を知っていますか? とにかく言われもないんだけど、急にタンクローリーに追いかけられて逃げ回るという恐ろしい話なんですけど、「鋼鉄のハゲ」は今思うと、そういう話です。やっつけてもやっつけても、後から追っかけてきて、自転車で逃げる。追われる主役を俺がやって、あともう1人、高校生なんですけど、ヒゲがあってつるっぱげの同級生に、「おまえ悪役やって」って。
追いかけられるだけじゃつまんないので、段ボールを積んでそこに突っ込んだりとか、植え込みに突っ込んだりとか、随所随所のアクション描写を、自分なりにがんばりました。高校生の作ったものにしては、なかなかおもしろかったんじゃないかな、と思います。これを「日本映像フェスティバル」に出品したら、銀賞をとったんですけど、当時の審査員が岡本太郎だったんですよ! 一緒に記念撮影をして、「ああ、よかった、よかった」と。映画研究部にもちょっとした実績が(笑)。それはいい思い出です。
自分の中には今でも「アクションの気持ちよさ」みたいなものがあって――マンガを描くとき、チャンバラシーンとか殴り合い、モノが割れるシーンなんかを、ちょっと変わったアングル、難しい構図で描く。映画では果たせなかったそのへんが、マンガでこだわって描ければいいなっていうところもあります。

― デビュー作の『GOLDEN LUCKY』は、ある意味、アクションのマンガでもありますよね。

榎本 そうですね。4コマだからコマも小さいし、いろいろ限定されるので、なかなか豪快なものは出しにくい。やっぱり『えの素』では、そのへんの鬱憤が――。

― 解消できている感じですね(笑)。

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十何年続けていたら描きたいものに技術がついてきた
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十何年続けていたら描きたいものに技術がついてきた

榎本 連載して1年目、2年目って、やりたいことがすごくいろいろあるんです。だけど、技術がまったく追いつかなくて、描きたいアングルも、ホント描けないんですね。こればっかりはどうしようもない。「描き続けていったらうまくなるのかな?」って思いながら描いていました。よくマンガ家のインタビューを読むと、「マンガは描き続けることが一番の上達の道」とか言っていますけど、「ホントかよ?」みたいな(笑)。でも、実際にうまくなっているんですよね。

― 『GOLDEN LUCKY』ひとつとっても、その中で絵柄がだんだん変わってきていますもんね。明らかに上達しているっていう、その跡が(笑)。

榎本 そうなんですよ! だからそこは、今は描けないけど10年後を楽しみに、みたいな感じで。実際、昔は描けなかったものでも、後の作品を見ると、「あ、描けてる!」っていうのがあって。でもその作品を連載していたときだって、描けないものが多すぎて……。「いつかもっと絵が描けるようになったら、こういうことがやりたいな」っていうのは、そのつどそのつど、ありますね。
たぶん『GOLDEN LUCKY』のときは、『ムーたち』みたいな虚構の中にしかないようなビジュアル、ある意味概念のようなものをマンガにすることも、絶対できなかったと思うんです。やっぱり嘘じゃなかったのかな、十何年続けていたら描きたいものに技術がついてきているな、っていうのがあります。これから、もう少し絵に関しては冒険してみたいなと思っていますね。

― マンガを描きはじめたころ、影響を受けた作品ってありますか?

榎本 通学が小田急線で海老名から新百合ヶ丘まで、だいたい30分くらいあったので、いつも文庫本なんかを読んでいました。笑いはかなり昔から好きだったので、ブラックユーモアテイストの翻訳ものとか――作家でいうと、カート・ヴォネガットですね。あれはもう、出ている本は、全部読んでいました。
あと、ジョーゼフ・ヘラーの『キャッチ=22』。60年代初期くらいのアメリカのブラックユーモア小説で、かなり実験的だけれども爆笑できる、マジメなんだけどふざけた小説です。それから、リチャード・フッカーの『マッシュ』っていう反戦モノのブラックユーモア小説ですね。20歳ぐらいから25歳ぐらいまでは、東海林さだおのエッセイにめちゃくちゃはまりまくって、もうドカンドカンと、頭をかち割られるようなたいへんなショックと影響を受けました。直接自分のギャグの資質に影響を与えてくれたのは、「モンティパイソン」ですね。

― 先生の作品に通じるにおいを感じます!

榎本 あれはもう、「こういう文法でギャグって成立するんだ!」って教えてくれたので。ワケわかんなくても自分がおもしろかったりとか、へんちくりんだけど自分の中で脈絡がついているんだったら、どんなものでも描いてしまえ、っていう自信を与えてくれたものなので、とても大きいと思います。

― いいですよね! 私は『GOLDEN LUCKY』を読んで育ってきた人間なので、知らぬ間に先生と同じ感性を身につけたのかも。

榎本 (周りにいたCINRAスタッフ一同に)いま社会的にどうなんですかね、そういう資質とか、趣味とかをアピールするのって。こういう業界だと、みなさんそれぞれ変わった資質をもってそうだから、あんまり疎外感とかないんですよね?

― 幸い、この中でやっているかぎりでは。

榎本 でも、必ずいますもんね。ある程度人間が集まれば、そのうちの何パーセントかはヤバイやつが。

― 先生はずっと「ヤバイやつ」という位置づけなんですか?

榎本 今は、だいたいの人に「思ってたよりフツーですね」って言われます〔注:榎本先生は角川書店の文芸誌「本の旅人」で、『思ってたよりフツーですね』と題するエッセイマンガを連載中〕。若いときはそれでも、人嫌い……なほう、ですか。アウトロー気分な体質でですね、「俺はおまえらと違うんだ!」みたいな。より一人になる方向に行っては、孤独をかみ締め、自分に酔ったりしましたけどね。そういうのが大事だったのか、もったいなかったのか、よく分かんないですけど。

― 今の作品につながっているんじゃないですか?

榎本 今だったら、もっとワイワイできる。結局、マンガを描くのだって、人とやらないわけにはいかないんです。編集者との打ち合わせもあるし、アシスタントに自分の意図する効果をあげてもらうには、テレパシーじゃ通じないですから。「コミュニケーションや伝達がある程度はできないとダメなんだな」っていうのは、マンガ家をやりながら、じわりじわりと体に叩き込まれてきて、気がついたら、社会的にかなりまっとうな人間になったんじゃないのかな、というところがあって。そこはけっこう自分でも、うれしはずかしというか――牙を抜かれたなんとかみたいな、悲喜こもごもがあるんですけど、でも育児マンガ〔注:『榎本俊二のカリスマ育児』秋田書店刊〕みたいなエッセイマンガの仕事では、そういった自分でも「恥ずかしいな」って思うようなテイストで描いたりして振り分けができているので、結果としてはよかったんだろうな……と、むりやり思うようにしてきました。
あと、子供がいると、アウトロー気取りじゃやっていけないところがありますね。保護者会に行ったら行ったで挨拶したりとか、先生としゃべったりとかしなくちゃならない。で、やってみたら「ああ、意外にやれるんだな」って。そうすると、逆に「あんなマンガを描いている人なのに、こんなにふつうに話が通じて、まっとうなお父さんをやってるんだ!」って驚かれたりする。それがある意味、快感になってきて(笑)。

― 気持ちいいでしょうね。

榎本 実生活がまともであればあるほど、反動でどんどんマンガのほうがクレイジーになっていっているし、それはいいバランスだなって思っています。

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でも、やっぱり赤ん坊とか描くのが上手なんですよ
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でも、やっぱり赤ん坊とか描くのが上手なんですよ

― 結婚されたのって、いつでしたっけ。

榎本 1994年です。

― ちょうど『GOLDEN LUCKY』が終盤にさしかかったころですね。その後、ウン○とチン○の『えの素』にいった理由が分かる気がします(笑)。

榎本 「結婚して子供が生まれたから日和ったな」と思われたくない、さらに暴走したいっていうのがあったので。
でも、やっぱり赤ん坊とか描くのが上手なんですよ。一番新しい『ムーたち』っていう作品には、「ムー夫」っていうのが出てくるんですけど、自分はモデルなしのつもりで描いたんです。だけど、うちに来る編集者が、3歳になる息子を見て、「あ、なんだ、そうか!」って言って帰っていくんですよね(笑)。自分の主観のスイッチをちょっとシャットダウンして客観的に見たら、「こりゃ似ているって言われてもおかしくないな」と。息子がムー夫と同じでまん丸な顔なんです。やっぱりそういうのって出ちゃうものなんだなぁと……。
そういった影響はあるんだけれども、なるべくほのぼのした作品にはならないように、と思っています。子持ちの人間が描いたとは思えないものを――と常に思わないと、気を抜くとかわいらしくなっちゃう。だから、もっともっとワイルドに、殺伐としようぜ、って意識するようにはしていますね。

― でも、『ムーたち』って、『GOLDEN LUCKY』や『えの素』と違って、温かい感じがするんですよね。お父さんの実とムー夫のやりとりが。

榎本 自分は、血の通った作品にしようとはまったくイメージしていなくて、ただ今まで聞いたこともないような考えを、ある程度納得できるかたちで、でも絵は不気味に、と。なんかシュールなものをたった4ページで一気に読まされた――という感じにしたいと思って描きました。本当はもっと分かりやすくしてもいいし、絵も変なところをなくしてもいいけど、そうすると自分が描く意味もないし、描いていてテンションが落ちてしまう――というか、ついやってしまうんですよね。「やらなきゃいいのに」とも思うんだけど、やったときに「あ、いいな、これ」って、やっぱり自分で思ってしまう。そうすると、これはもう行くしかない、と。『えの素』もエログロに関しては、最初はそんなに爆裂していなかったんですよ。ちょっとチ○チ○を出すとか、それくらいで抑え気味だったんですけど、どこかでやってしまってからガードが外れて、後戻りできなくなっちゃって、どんどんエスカレートさせるしかないな、って。

― それでロールしたり〔注:『えの素』に出てくる老美女、タミさんの必殺技。乳でさまざまなモノを締め上げる〕(笑)。

榎本 そうですね。それがいいと思っちゃうから……。

― 「この人を超えたい」という存在は?

榎本 長いものの見方でいうと、やっぱりカート・ヴォネガットは一つの指針みたいなもので、ああいうスケールのものを描けたら、と思います。それから『キャッチ=22』。これはカルチャーショックをドカンともらった小説なので、こういう突き刺さるものを描けたらいいな、と。映画だったら、テリー・ギリアム監督の作品ですね。
でも、そういう作り手たちって、雲の上の存在なんですよね。近づこうにも、どだい無理。マンガを連載しはじめて何年か経っていても、自分が目標としている巨人たちに近づいたとは夢にも思わないし……。
けれど、もう少し冷静に考えれば、そんなに自分を卑下することはないのかなって。よくよく考えれば、自分は「モーニング」という、マンガ家としては第一線のところで週刊連載ができている。せっかくメジャーのマンガ誌に作品を描く場所を得ているのに、「自分なんて」って物怖じしていたら、もったいないですよね。
スタートラインには立っている。そこで自分がものすごくおもしろいものを描けたとすれば、巨人たちに並ぶことはできるんじゃないか、自分も同じフィールドで走っているんだ、 ってむりやり思うようにしてきました。そろそろ出てきて20年近くになるんですね。だから、もしかしたら、巨人たちの爪の垢――くらいのところまではきているんじゃないかな? って、最近ちょっと思っています。

― 作品がいいかどうかを判断するとき、「誰のために描いているか」っていうことが問われてくると思うんです。以前、「自分のためにマンガを描いている」っておっしゃっていましたけど、それは変わらないんですか?

榎本 僕のマンガを読んで楽しんでくれる人がいるのはうれしいし、そういう人がいなかったらマンガ家として続けられないっていうのも分かっているんだけど、自分を喜ばせるのが一番ですね。それは変わらないです。
描けるうちは、自分を一番驚かせるものを、って思うんですけど、そのうち描けなくなるという予感がするんですよ。マンガを描くのはけっこうキツイですね。今はまだ、うんうん唸っていれば、ある程度のアイディアが出てきますけど、脳細胞なんて死ぬ一方なんですよね、刻々と。ある日突然、「おや?」っていって出てこなくなるのも仕方のないことですよね。そうしたらもう、自分の納得できないような作品を描くことになるんだろうな、っていう気はする。それがもっと後になればいいな、と今は望んでいるんですけど。そうならないうちには、ギョギョギョッとするようなものを、まだまだ描き続けたいなあとは思うんですけど……、いつまで続くかは分からないですね。

― 産みの苦しみはたいへんなものみたいで。目下ライバルにしている人のマンガを読んだり、ネットで検索したり――みたいなアイディア出しの方法って、何もないんですか?

榎本 習慣にしているものはないですね。『GOLDEN LUCKY』のころは、すでに毎週のネタにつまっていたので、夜中に散歩したり、駅に行ってマンガ本を拾って帰ってきたりという気分転換をしていました。画板を持って、まるでスケッチしに行くかのように公園にネームをしにいったこともありました。ゲームセンターでアイディアを考えたこともあります。周りがゲームをやっているところで紙を広げたりして。そのときはいいのが描けたんですけど、毎回それでうまくいくかっていうと、慣れが生じてしまって、集中力が続かなくなる。どれも一回こっきりでしたね、有効なのは。
場所や時間をいろいろ変えて、自分の脳みそにそのつど新しい刺激を入れる――っていうことは唯一やっていますけど、それでできるともかぎらない。それは本当にこれから決定打が出ればいいなと、目下、悪戦苦闘中ですね。

― 週刊連載だとネタ出しもたいへんでしょうね。

榎本 描きたいものが何にもないわけじゃない、こういうやつがやりたいんだけど、その中身が出てこない――みたいなこともありますし。そこにもっていくのに、やっぱり時間がかかるのかな、と。
でも、あんまり頭の中で作品をつくりすぎないほうがいいかもしれないですね。これはたぶん、遅筆家といわれる人たちに共通するんじゃないかと思うんですけど、ビジュアルイメージを完璧に思い描いてしまうと、ちょっとした線の乱れが気になったり、「こういう雰囲気じゃないんだよな」と思って立ち止まったりする回数が多くなると思うんですよね。こだわりがないと、ドライヴ感とかテンションでバーッと描いてしまったりできるんですけど。完璧主義な人は、もっともっと苦しいのかな、って思います。
自分は、ネームというかたちで絵コンテができたら、あとはあんまり考えずにやったほうがいいような気がしますけどね。『ムーたち』は、僕にしては完璧主義的なところがあるんですけど、絵は流れるように描けていて、そのへん、うまい具合というか。「気にしないで気持ちよく描いたほうが、絵としていきいきすることがあるんだ」っていう何の科学的根拠もない持論に基づいて、盲目的にやったんです。考えてしまうと、本当に筆が止まってしまって、あっという間に、1時間、2時間過ぎてしまうんですよね。そうすると、週刊連載では……。

― 厳しいですよね。

榎本 だから、「今のテンションで作品をどんどん変えていってしまってもいいんだ」と思いきることも必要だと思います。それこそ「セカンド自分」〔注:『ムーたち』の中に出てくる概念。おのれを一段上から俯瞰して眺める第二の自分のこと〕が必要で、“マシンのように描く自分”と、それをもう少し俯瞰した目で統括するような“演出家の自分”っていうのがいないと、けっこう難しいのかな、と。ただ野獣のように描いていくだけじゃダメだし、冷静になりすぎてもダメなので。「キツイなー」って思いますけど。

<次ページへの見出し>
昔の自分に「大島さんと同じ雑誌に出ているよ」って言ってやりたい
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昔の自分に「大島さんと同じ雑誌に出ているよ」って言ってやりたい

― そんなふうにしていろいろお描きになってきたわけですけど、ご自身でもっとも好きな作品は? たとえば、『ムーたち』の中でよくできた話はこれ、というのでもいいです。

榎本 『ムーたち』でいうと、「時覚障害」ですかね(第2巻所収)。日常的な、誰にでもある朝のドタバタしている状況を使って、時間っていうあいまいな概念をおもしろおかしく描けたんじゃないか、自分では会心の出来だったという気がします。あとは、「移痛」(第1巻所収)。あれは「ちょっとあるかな」っていうところから、「絶対ないよ!」っていうところまで話をずらしていけたので、「ありえないものを読まされちゃった」っていう刺激を読者に与えられたかな、と。よく描けたと思いますね。

― 最後にひとつ。今のご自身から、デビューした当時、20歳のころのご自身に声をかけるとしたら、なんと言いますか?

榎本 う〜ん。本当はすばらしい言葉をかけてやりたいんですけど……。たとえばですね、「本の旅人」(角川書店)っていう雑誌で『思ってたよりフツーですね』っていうエッセイマンガの連載を始めたんですけど、そこに大島弓子さんの『グーグーだって猫である』っていうマンガが載っていて。高校生のとき、古本屋をめぐっては、大島弓子さんのマンガを漁って読んでいたんです。それが同じ雑誌で肩を並べて連載しているなんて、20歳のころの自分からしてみれば、想像すらできないことだから、「大島さんと同じ雑誌に出ているよ」っていうのは言ってあげたい。あ、でもこれは言ったら、マジですげえ怠けそうなんで(笑)、そうですね。「まあ、今までどおりでいいんじゃない?」ぐらいかな。「もっと本を読め」っていうかもしれないですね。

― 本は昔からずいぶん読んでらしたみたいじゃないですか。

榎本 どうですかね〜。本を読むのってキツイですよね。「読まなくちゃ、読まないと頭悪くなる!」と思うけど、本当におもしろく、寝る間も惜しんでサクサク読める本って、少ないですよね。でも、つまんない本でも読んでると、頭の中で思考があっち行ったり、こっち行ったりしますよね。そういう儲けにもならない、箸にも棒にもかからない、無駄な思考みたいなのが今、有効に活用されているので、「ダラダラしていないで、もっと本を」……だったら今読みゃいいんだよな。う〜ん。何だろうな? 何がいいのかな? やっぱり、「大島さんと同じ雑誌に出ているよ」でいいんじゃないですかね(笑)。

― 今日はどうもありがとうございました(笑)。

<色紙写真のキャプション>
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<プロフィール>
榎本俊二(えのもと しゅんじ)
1968年12月10日生まれ。日本映画学校在学中の1989年、不条理4コマ『GOLDEN LUCKY』でモーニングからデビュー。以後、『えの素』や『ムーたち』などの問題作を同誌上で発表。最近はエッセイマンガでも活躍。『榎本俊二のカリスマ育児』(秋田書店)、文章も手がけた『映画でにぎりっ屁!』(講談社)のほか、角川書店の文芸誌「本の旅人」で『思ってたよりフツーですね』を連載中。エログロ傑作マンガ『えの素』の愛蔵版が6月より、講談社から刊行予定。

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