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Saito Kensuke(9dw/catune) INTERVIEW

「ポストロック? 一つの時代の終わりとはじまり」

取材・文:柏井万作
撮影;井手聡太
<Profile 160文字以内>
サイトウケンスケ
1997年、バンドNINE DAYS WONDERを結成。ギター&ボーカルとして、バンドのフロントマンを務める。2000年にアメリカのレーベルより発表した1stアルバムは、耳の早い国内の音楽リスナーから絶賛され、エモの代表格として話題を集める。また2001年に音楽レーベルcatuneを始動し、ポストロックを中心に国内外の重要アーティストを数多くリリースしている。

<リード>
2000年代のライブハウス・シーンについて考えたとき、インディペンデントかつもっともクリエイティブなストリームとして存在していたのは、「ポストロック」と総称される一群だったはずだ。アメリカの、特にシカゴやニューヨークを発端とする最新鋭の“バンドサウンド”に刺激された日本のバンドマンたちは、オルタナやシューゲーザー以降の新しい空気に触れて、そのパフォーマンスを作り替えていった。クラブシーンに比してトピックの少なかった90年代を終えて、多くのバンドマンたちがその新しい流れに飛びついたのはとても自然なことだった。

しかし、10年も経てば事情は変わる。2008年現在、「ポストロック」という名前が呼び起こすイメージは、あまりよろしくない。「ニューウェーブ」とか「オルタナティブ・ロック」がそうだったように、ロックというフォーマットを革新する存在だった「ポストロック」も、一度スタイルが確立されてしまえばあとは形骸化していくという末路を、現在進行形で邁進している。

さて、話を本題に移そう。日本におけるポストロック興隆の一翼を担ったインディーズ・レーベル「catune」。そしてそのcatuneを設立したサイトウケンスケがリーダーを務め、これまた日本のエモ/ポストロックを先導したバンド「NINE DAYS WONDER」が、この記事の主人公だ。ポストロックがその本質とかけ離れたイメージをまとい出した時期に、catuneとNINE DAYS WONDERは、「次ぎなるもの」に向けて新しい動き出しを始めていた。サイトウケンスケの歴史を振り返ってみれば、スタイルと化したポストロックが失ってしまった本質が、見えて来るかもしれない。それが、この取材の動機だった…。

 

<以下、本文>

<小見出し>
NINE DAYS WONDER始動
サイトウ「NINE DAYS WONDERの結成は1997年で、98年からライブをやり始めました。最初はライブハウスのブッキングイベントとか普通に出てましたね(笑)。それで、99年に自主制作で7inchのレコードを出したんですよ。それをスティーブ・アオキっていう、アメリカのDIM MAK RECORDSというレーベルの奴が『出したい』って言ってきて、追加でアメリカでも出したり。
その後、スティーブがアルバムも出したいと言ってくれて。まあアイディアとして、誰も知らないアメリカのレーベルからアルバムを出すのも面白いと思ったんですよね。その当時は何にも分かってなかったから、別にCDショップに流通させようとも思わなかったし、ライブの物販で売るだけだと思ってて。結局は知り合いの方が流通してくれるということになって、1000円で売り出したんですよ」

―1000円だったんですか! 今はプレミアがついて9800円で売ってますよ(笑)。

サイトウ「(笑)。よく売って無いって言われるから『ジャニス(お茶の水にあるレンタルCDショップ)にあるよ』って。結局、何枚仕入れたか、どれくらい作ったのかも分からないんですけどね」

―NINE DAYS WONDERは、日本のエモ/ポストロックと言われる分野の先駆者でもありますよね。その当時、そういった音楽をやってる人っていたんですか?

サイトウ「全然いなかったですね。だから、周りから無視されている感じはずっとしてた。自分にフィットしたのが結果的に『エモ』だったんです。自分の感情をそのまま音楽に乗せられるジャンルって、自分にピッタリだと思って。ライブでわめき散らしてドラムには機材ぶっ壊すくらいな勢いでやってくれって。ひたすら破壊的な感じでやってたんだけど(笑)。NINE DAYS WONDERで初めてボーカルをやったから、歌い方も何もなくて、とにかく常にわめいてる感じでした」

<小見出し>
catuneの設立

―記念すべきcatuneの第一弾リリースは2001年の7月。NINE DAYS WONDERとアメリカのバンドNO KNIFEのスプリット盤でしたよね。

サイトウ「当時から友人たちと海外のバンドを日本に招聘していたんだけど、そのうちの1つがNO KNIFEだったんです。そのツアー費をまかなう必要があって、最初にNO KNIFEとNINE DAYS WONDERのスプリット盤を出したんですよね。でも、元々は音楽レーベルをやるつもりなんて全くなかったんですよ。ただ、NINE DAYS WONDERで7inchのアナログレコードを作ったり、カセットテープを作ったりしていたから、そういったリリース物に何か冠的なものをつけようと思ったんです。それが2001年。まだ音楽レーベルとしては全く機能していなかった」

しかし早くも2002年、catuneはレーベル第二弾リリースとして発売したtoeの記念すべきデビュー作『songs,ideas we forgot』で、耳の早いリスナーたちにその名を轟かせることになった。この、toeというバンドは、ポストロックやインストバンドの認知にもっとも貢献したバンドと言っても過言ではない。

サイトウ「catuneは、NINE DAYS WONDERの活動を通じて知り合った人達をリリースしていったんですよ。とにかく常にライブをやっていたから、色んな人達と知り合った。でも当時は皆、意外と居場所がなかったし、ライブのやり方含め模索していたように見えた。エモやポストロックをリリースしてくれるレーベルなんてほとんどなかったから。だからtoeのリリースも、割と軽いノリで話は進んだんですよ。デモテープを作るって言うから聴かせてもらって、『このまま音源で出せばいいのに』って話をしたら、『どうしよう?』ってなって。『じゃあ、レーベルっぽいのあるからうちでやる?』みたいな感じで。流通も何にもわからないけど、取りあえず出すかっていう」

―そして、catuneの第三弾リリースとして、NINE DAYS WONDERのセカンドアルバム『with EUPHORIA』(2002年10月)をリリース、ですね。NINE DAYS WONDERはここでメンバー編成が変わったんですよね。

サイトウ「ベーシストが脱退したので、すぐに周りにいるバンドマンを誘って、ベースとギターが加入したんです。それでメンバーが3人から4人になったんですよ。海外のレーベルからもリリースしてもらえたから、ヨーロッパツアーにも行ったりね。オフ日無しで、20連チャンでライブやったりして。だけど、そこからまたメンバーが抜けたりして活動が止まったりするんですよ。何かそういうことが多いですね。それまではライブも常にやってたし、作品も一年に一回は何かしらリリースしてて、ちゃんと活動していたんですけど」

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「そういう意味での『NINE DAYS WONDER』なんてとっくに終わっているんですよ」

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NINE DAYS WONDERから9dwへ
そうして唐突に、“NINE DAYS WONDERというバンド”は終わりを迎えることになる。メンバーの脱退劇が繰り返された後、サイトウはバンドを解体し、“9dwというソロワーク”(読み方は変わらない)を始動した。そして、長い沈黙を破って2007年10月にリリースされた「9dw(ナインデイズワンダー)」の新作7inch『EP2007』は、多くのリスナーの期待を、良くも悪くも裏切る内容だった。その音楽の表層が、すでにスタイル化していたエモやポストロックとは“違っていた”のだから、その変化に失望した人も多かったのかもしれない。だが果たして、“違っていた”のは、“変わった”のは何だったのか。

“NINE DAYS WONDER”から“9dw”へ。その変遷に話を移すと、ゆっくりと、ひとつひとつ確かめるように、サイトウはその経緯を語ってくれた。

<視聴ボタンを入れて下さい!楽曲名以外のテキストは、自由に考えてもらえると嬉しいです〜>

 

サイトウ「9dw、つまりソロになってからの方向性やアイディアっていうのは、セカンドアルバムの頃からあったんですよ。それを形にしたいってことをずっと考えてて、最初はバンドでその形を模索したんだけど、なかなかしっくりくるものにならなかった。細かく言えば色々あるけど、『違う』のだけはハッキリしてたんですよね。自分にも足りないものを感じてたし、その状態で音源は作れないと思った。
だから、アイディアを形にするために、失敗とか実験が必要な時期だったんだと思うんですよね。ライブもやってなかったんですけど、楽曲に納得がいかなくて、まずそこを形にしてからライブを始めたいと思ってた。とにかく自分がやりたいことを噛み砕いて形にする時間が必要で、その準備をずっと続けていたんだけど、今度は急にドラムが辞めるって言い出しちゃって。
辞めてったメンバーそれぞれ、自分の音楽がやりたかったんだろうし、その時にメンバーでミーティングしてNINE DAYS WONDERは終わらせようかって話をしたんですよ、実は。でもやっぱ、自分の中にはNINE DAYS WONDERを止める理由が見当たらなかったというか、続けたかった。リスナーの人にとって、表面的な、音楽性的な部分の変化を打ち出すために『NINE DAYS WONDER終了』というのは分かりやすいのかもしれないけど、俺としては、何にも変わってないし、同じなんですよね」

―“NINE DAYS WONDER”も“9dw”も、表層は違うけど核の部分は同じだと。

サイトウ「そうですね。色んな音楽が好きで、確かにエモやハードコアから影響を受けたりはしているけど一部でしかない。それが理由でギターを始めたわけでもない。単純に音楽が好きで、良い音楽を作りたくて音楽を始めたし、そのままここまで来てるから。だから自分の活動として、名前を変える理由が見当たらなくて、表記の仕方だけ変えることにしたんです。表面的な話をすれば、1stの頃の『音楽スタイル』が好きだった人とか、時期によって色々あると思いますけど、そういう意味での『NINE DAYS WONDER』なんてとっくに終わっているんですよ。
だから、名前なんてある意味どうでもよくて。ただ一つあったのは、『ナインデイズワンダー』としてまだまだ納得できるものが出来てないから、中途半端な状態で投げ出すのが嫌だったんですよ、この名前を。それがとにかく嫌だったんですね」

―新しいメンバーを探すのではなく、ソロ活動にした理由は?

サイトウ「今までの話の中でも、メンバーが辞めることが多かったと思うけど、実際そういうのに疲れちゃった。バンドを続けていると、良いバンドの条件も分かるようになりますよ。良いブレインが引っ張っていくことで個々の良さが引き出されたり、とかね。でもNINE DAYS WONDERは自然とそうならなくなっちゃった。自分が曲を作って、それに合わせて演奏してもらう感じになっていたし。だから結局、一人になって音を作っても変わらないんですよね。それが自分の中では分かり切っていたから、一人で始めたんです。
2007年から一人でやり始めて、自分の限界までやれるだけやって、出来ない部分も含めて『これが俺なんです』っていう気持ちにはなれたから。そういう意味で、もの凄くスッキリはしている。出来ないものは出来ないって、はっきりしているし。実際のレコーディング作業ではサポートメンバーにものすごく助けられたし、かなり楽しんでやっていました」

―これまでずっとバンドでやってきた人が、全部一人でやるっていうのは、色んな面で葛藤も多いのではと思うのですが、いかがでしたか?

サイトウ「結局は、自分だった。自分が良いと思うか、どうか。それを自分なりに手を動かして探っていく作業だったと思います。だから、とにかく自分と向き合いましたね。これでいいのか? っていう自問自答をずっとしていた。ドラムが生音なのも、打ち込みとかを色々と試した末に、今の9dwには生音がいいなって思ったし。弾けない楽器の練習をしたりとか。自分が気になっていることをどんどん行動に移していきました。
そうしてるうちに、だんだん掴めてきて、言い方がおかしいけど、曲が向こうからやってくる、そういう感じになってきたんですよね。とにかく、自分の心を意識しないような状態になってきた。何か考えながら作ってもいいものが出来ないんですよね。ただギターを弾いて、自然に曲を作っていくというか。それがベストだって、思えたんですよ」

―ご自身として、4月にリリースするサードアルバムはどういった評価をしているんですか?

サイトウ「『ナインデイズワンダー』としては、ベストだと思いますよ。単純に各曲を、自分の中で完結させているから。その結果が、今までの作品とは全然違うんじゃないかと思いますよね。『気に入ってます』という感じです」

―ぼくも聴かせて頂いて、かなり愛聴してます。本当に良い作品です。

サイトウ「ああ、今そう言われるのって本当に嬉しいんですよね。自分が本当に気に入っているから」

―まさに、自分自身みたいな感じですね。

サイトウ「そうなんですよ。だから否定されても、そりゃ仕方ないと割り切れてしまうんです」

<小見出し>
「ポストロック」って。
「結局は、自分だった」という言葉の重みを、形骸化してしまった今の「ポストロック」は支え切れないだろう。9dwの音楽を聴いていると、ある意味サイトウは、自分が加担した「ポストロック」というタームの幕を、自ら率先して降ろしているかのようにすら思える。サイトウは今、ポストロックをどのように考えているのだろうか。

―catuneといえば、エモとかポストロックというイメージがあるじゃないですか。それに特化しようというコンセプトがあったわけではないんですか?

サイトウ「いや、それは無いんですよ。当時はそういった音楽自体が知られていなかったから、便宜上、誰かが使い始めた『ポストロック』という言葉を使ったりはしたけど。まあでも、俺はやっぱりポストロックは好きですよ。それが本当に『ポスト(後の・次の)』だったら。その違いっていうのは、やってる人のバックグラウンドやチャレンジャー精神というので分かると思うんです。2000年代初期はポストロックも新鮮な音楽だったし、海外の新鮮な音楽にどれだけアンテナ張り巡らしてたかって話だと思うんですよ。悪く言えば、海外からみんなが知らなかった音を引っ張ってきて、パクってるだけだったのかもしれないし。キッカケってことですかね」

―でもそれが、2000年代を象徴するような流れにもなったわけですよね。

サイトウ「そうですね。今は『ポストロック』という言葉が、悪い広まり方をしちゃってますよね。メロコア、ミクスチャー、そしてポストロックみたいな。どうでもいいですよね、『ポスト』ってついているのに。誤解を恐れずに言うと、やってる側にも責任があるんじゃねーかと思う時がありますよ、俺は」

―そんな中で、サイトウさんは外ではなく自分と向き合って、自分の音楽の形を模索したわけですよね。その結果として生まれた9dwの音楽は、ジャンルでは語りきれない音楽になりましたね。

サイトウ「そうですね。自分のルーツの1つであるフュージョンに徹底的にこだわろうと思ってやってきたけど、進めていくうちに、結果的にオルタナティブになったと思います。フュージョン自体がミックスされた当時の音楽だし。、その理由を考えるとやっぱり、ルーツは両親が音楽好きで普段から聴かされてきた音楽と10代から自発的に聴いてきた音楽になるんですよね。聴かされてきた部分ではアメリカの普通のポップスとか聴いて育ったんですけど、そういうレコードのクレジットを見たら、フュージョン期のスタジオミュージシャンたちがバックで演奏していたり。あと作曲しているうちに、なんか、ファンクなんじゃないかと、行き着いちゃったところがあって。例えばベースのフレーズを考えるのが、とにかく楽しい(笑)」

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そしてこれから
2007年に9dwが本格的に始動したように、catuneもまたmorec.という、エレクトロニック/ダンスミュージック専門の新レーベルを立ち上げた。ポストロックのレーベルがダンスミュージックを始めたと聞いた時、ぼくはそこに何の違和感も覚えなかったし、それよりもむしろ、以前より不可解だったインストロックバンドとダンスミュージックの溝が埋まっていくであろう一つの動きとして、「やっとか〜」という思いに駆られたのだ。もちろんこれまでも、ROVOやDachamboなど、クラブシーンと密接なバンドは存在しているが、レイヴとはまた違った結びつきとして、ポストロックとダンスミュージックのクロスオーバーは、2010年代を担う動きのひとつになるのではないか。それを裏付けるようなトピックが、2008年に入ってから数多く飛び込んできている。取材の最後に、クラブミュージックに対するシンパシーと、今後の展望について伺った。

サイトウ「以前はライブハウスに行くことが多かったけど、今はダンスミュージックのイベントに行った方が、変な言い方かもしれないけど、あんまり不満がないんですよ。自分が楽しみに行っているし、発散しているから。ライブハウスみたいに、腕組んで観察しているような感じではないので。どっちが良い悪いということではないんですけどね」

―そういう心境の変化というのが、morec.という新レーベルの立ち上げにも関係しているんでしょうか。

サイトウ「あるのかもしれないですね。そもそもエレクトロニック・ミュージックに興味はあって、一人とか二人とか、少ない編成でやってる人をサポートしたいと思っているんですよ。確固たるシーンができているわけでもないし、すごい自由にやってる人達が多くて気持ち良いんですよね。catuneが、興味ある人が集まってきてくれて今の形になったように、morec.をどう現場に繋げていくか、それが当面の課題です」

 

INFORMATION
9dw、5年半ぶりとなる待望のサードアルバムをリリース!

リリース日:2008年4月30日
形態:アルバム、シングル同時発売
アルバム13曲、シングル4曲収録
タイトル/アルバムself titled、シングルself titled EP
価格/アルバム \2,500、シングル \1,050
レーベル/CATUNE

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