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モザイクの向こうもモザイクだった
文:はら

いつの間にやらエロ本を購入する情熱などどこかへと消え去ってしまったどころか、もはや立ち読みする意欲すらなくなってしまったのだが、かつて見たエロ本の中には――それはいまもあるのだろうか――、「びっくりするほど見えまます!」といった内容のキャッチコピーや購入者の声が、見るからにいかがわしさを主張しているにもかかわらず、それが広告として紙面を割いているということは、いったいどこのだれが金を落としているのかはわからないけれど、それなりの需要があることを窺わせる、あの「モザイク除去装置」なるものの広告が必ずや挟まれていた。技術的にはどうやら不可能であるらしい、モザイク除去不可能装置の存在や、比較的最近の「モザイクが薄すぎる」問題は、いずれも「モザイクの彼方」が生み出したものである。
モザイクとは、アダルトビデオにおける性器や、プライバシーにかかわるものなど、そのままの姿では衆目に晒すことはできないと判断された「なにものか」を覆い隠し、そして、代理するものである。モザイクは「なにものか」を覆い隠している、そのことを露わにしている。けれども、目を細めて、あるいは、いくぶん遠ざかってディスプレイを眺めてみると、モザイクの部分がそれ以前よりもいくらか鮮明になることもあるように、モザイクは必ずしも「なにものか」を完全に覆い隠してしまうわけではない。「なにものか」を隠しながらも露わにし、露わにしながらも隠す、その曖昧さこそがモザイクの本質であり、ディスプレイの表面でモザイクがチカチカと蠢いている限り、モザイクは「なにものか」を仄めかし続ける。
モザイクがどの程度「なにものか」の姿を仄めかすのかは、その時々の要請にしたがって設定されたモザイクの濃淡の度合いと連動している。つまり、モザイクが薄ければ薄いほど、よりいっそう「なにものか」の姿は露わになり、反対に濃ければ濃いほど、よりいっそう「なにものか」の姿は覆い隠される。したがって、モザイクを限りなく薄くすることができたならば、モザイクと「なにものか」との区別は消失し、かつてモザイクであったその場所には、「」という覆いを脱ぎ捨てたなにものかが現われてくるに違いない。
モザイクをいま述べたようなものとして見ることができるのは、モザイクの部分に、本来ならばあるはずの「なにものか」がない、あるいは、あったとしてもその姿では不完全であるとみなすからである。そして、モザイクの部分に、「なにものか」の姿がないことによって、そこではないどこか別のところに、「なにものか」本来の姿があるに違いないという思考が生まれる。そこにないことが、どこかにあることを想起させる。ないがゆえにある。モザイクの彼方とは、そうした思考そのもののことである。モザイクを見ること、それはモザイクの彼方を予感することであり、モザイクを目にするたびにその予感は高まり行く。
しかし、ここで残念なお知らせをしなければならない。
少々頭を冷やしつつ、ディスプレイを凝視してみると、モザイクのチカチカと呼応するように、それを見る目の感覚もチカチカとしてくる。そして、当たり前と言えば当たり前のことなのだが、ディスプレイとは、格子状に構成されたものであることに気がついてしまう。つまり、ディスプレイの表面に現われるあらゆるものは、それがモザイクであろうとなかろうと、モザイクよりもさらに細かなブロック=モザイクによって構成されているということである。こんなとき絶望先生ならば、「絶望した! すべてがモザイクでできているこのセカイに絶望した!!」と叫ぶのだろうか。それはともかくとして、ディスプレイが表示するセカイを見ること、それは網戸を通してセカイを見るようなもので、このことはマウスのホイールで画像をグリグリと拡大してみることによって、よりいっそうはっきりとしてくる。拡大の初期段階では、毛穴や産毛がチラチラと見えてきたり、「あら、こんなところにホクロが」と自らの新発見に驚喜したりもするのだが、拡大の最終段階にいたると、先ほどまであれほど狂喜の対象であったそれらの姿は見るも無残な姿と化す。このことは、これまで「モザイク」と呼んできたものと、同一ディスプレイ上に併置されている「モザイクではないもの」との原理的な違いなどないことを意味する。したがって、モザイクがモザイク以外の「なにものか」を代理するものであるならば、それと同じように「モザイクではないもの」もまた「モザイクではないもの」以外の「なにものか」を代理するものでなければならず、そうであるならば、モザイクに「なにものか」を代理する特権などなく、モザイクの彼方などないも同然である。あるいは、「モザイクではないもの」が「モザイクではないもの」以外の「なにものか」を代理するものではないのであるならば、それと同じようにモザイクもまたモザイク以外の「なにものか」を代理するものではないのでなければならず、そうであるならば、モザイクの彼方などないということになる。
モザイクを除去することが不可能であるのも、技術的な問題云々以前に、モザイクの彼方がない以上、「モザイク」と認識された画像は、「モザイクではないもの」と認識された画像と同じように、それ自体で充足したものであり、したがって、そこから除去されるべきものなどなにもないからである。それと同じように、たとえ「モザイクが薄すぎる」と判断されたとしても、「なにものか」が必要以上に見えてしまっているということはなく、「モザイク」と認識された画像が、ディスプレイの表面でチカチカと蠢いている、ただそれだけのことである。

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