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MIHO KANNOインタビュー

インタビュー・構成/幾代沙緒里
撮影/U-CO.
[インタビューイー:清田亮平/千葉正也/松原壮志郎/榎倉冴香/万代洋輔/COBRA]

【リード】

展覧会や雑誌で気になるアーティストのプロフィールを見ると、末尾に「MIHO KANNO」というクレジットがついているのに気づきだしたのはいつからだろう。発音は『働きマン』のあの女優と変わらないが、何か関連性はあるのだろうか? そんな疑問にさらに興味を惹かれるMIHO KANNOの初インタビュー。

【見出し】
MIHO KANNOは、みんなが共通の言葉を持っている

―まずMIHO KANNOはどういった経緯で結成されたのでしょうか?

清田:横浜にBankARTスタジオというのがあって、希望するとスタジオを貸してくれるという制度があったんですよ。僕と、千葉君と松原君と大城さんの4人でそこを借りないか? という話になり、申し込んだんです。そしたら団体で借りるときは団体名をつけてくれないかと言われて。そこでどんな名前がいいか考えたところ、「MIHO KANNO」がいいんじゃないかということになったんですよ。なんでMIHO KANNNOがいいのかというと、それは千葉君が説明してくれると思います。

千葉:だから、宮沢りえの時は小学生だったし…リアルタイムでは見れなかったんですよ。菅野美穂は高校生の時じゃないかな。みんな(写真集を)持ってたよね。

―やはり菅野美穂さんが由来なんですね。単なるファンということではなくそんな思い出も込められていたとは。菅野美穂さんの写真集『NUDITY』が発売されたのは1997年。菅野さんの20歳の誕生日の日でしたが、それがみなさんが高校生の時に出て、200…何年にMIHO KANNOを結成されたんですか?

松原:2006年です。

―BankARTスタジオでは、どんな活動をされていたのでしょう?

清田:そこがけっこう広くていい場所だったので、自分たちが制作するだけじゃなくて、まわりでいい作家だな、と思った人の展示を企画するというのも、なんとなくやりはじめた感じです。そこのスタジオの期限は4ヶ月だったんですけど、その間3回展示をやりました。

―HPは結成してすぐ作られたのでしょうか? メンバーが持ち回りで更新されているブログは、文章が独特でいいですよね。

清田:HPはBankARTを借りたときに、作ってみようということで作ってみました。

―ブログを読んで母親が心配になって電話をかけてきた、なんてくだりは笑ってしまいました。お話をうかがっていると、グループで何か共同作業や共同制作をするのではなく、展示をしたり印刷物を作ったりといった活動が主なのですね。活動の方針を決めるための会議とかはされるのですか?

COBRA:会議、しますね。なんというか、MIHO KANNOとして前に向かって進むためには? みたいなことを話すんです。

千葉:そうですね。そういうの時々ありますよ。「こういうことをしよう!」と誰か言い出して、呼び出されて話し合うとか。

COBRA:やっぱり、、、けっこう、、、グループなんで。

一同:笑

COBRA:でも、具体的な企画があるときに集まるという感じですね。みんなで集まって「面白いことしたいねー」とかじゃなくて、どこかで展示してみようという企画書を誰かが初めに持ってきて。まあ、主にそれは松原君ですね。僕の中で彼はリーダーなんで。

―リーダーなんですか?

松原:リーダーじゃ、ないです。(断言)

―それではリーダー格の松原さんに伺いますが(笑)、MIHO KANNOとしての夢というのはあるのでしょうか?

松原:いろんな話があって、これって夢だよねっていうのは別に話し合ってはいないんですけど…。まず、「菅野美穂さんに知られたい」ということでしょうか。

千葉:もし事務所とかからクレームがついたら、潔く身を引こうというのはありますね。

―菅野美穂さんに知られたあかつきには、作品とかを買ってもらうといったさらなる野望もあるのでしょうか?

松原:いやあ…買ってほしくないですね。

千葉:なんで?

松原:買ってほしいの? お前。

千葉:買ってほしいよ。なんで?

松原:ここは意見が分かれるところなんですよね。僕は絵とか持っていてほしくない。なんか、「俺の範囲に入ってくるな!」みたいな。分かる? そこでさ、すごいリアリティを持ってしまうわけじゃん。絵を買うという、圏内に入ってきた段階で。そういうのはちょっとまだ…俺の準備が出来てない。

一同:笑

―話を戻すと、MIHO KANNNOとしての夢、例えばスペースを持ちたいとかはあるんでしょうか?

千葉:スペースを持ってみんなで楽しく暮らせるという幻想みたいなものはありますけど、それが目標とか夢とかになるとちょっと違うかな。僕はですけど、やっぱり個人のやりたいことをやるための踏み台として利用できるところは利用しているという感じです。実際一人でやっていると、自分が狭まってくるのを感じるので、ある程度コミュニケーションができるくらい近いところで全然違う作品と作っている人がいたりすると、ハっとするというか、距離が保ちやすくなるんです。

―それは、いろんなジャンルの人と関わるのが刺激になるということでしょうか?

千葉:そういうことともちょっと違うんですよね。知らない人だと「この人いい作品作ってるな」と思ったとしても、使っている言葉が微妙に違ったりするじゃないですか。ニュアンスみたいなものが。ある程度共通の言葉を持っていて、コミュニケーションとりやすいほうがいいかなと思ったりしますね。

―確かに、日常生活の言葉でも「微妙に通じない」と思うことは多いですよね。みなさんの経歴をみると多摩美出身の方が多いようですが、美大時代からのつきあいということなのでしょうか?

万代:そうですね、基本的には友達です。実は僕と千葉君は中学からの同級生なんですよ。

千葉:彼はすごいピッチャーだったんですよ。中学の時は全国優勝してるし。僕は、高校の時から美術部に入ってました。なんか、美術部だけ鍵がかけられたんですよ。完全個室ができるから、そこでいろいろ……。

―もちろん絵を描かれていたんですよね…?

千葉:まあ、絵が好きというか絵以外が嫌いで、勉強も嫌いでしたからね。

榎倉:私はもともと、実家の一角が「スペース23℃」というギャラリースペースになっていて10年くらい続いているんです。そういう環境で育ったけれど、小さいころから画家になりたいと思っていたわけではなくて。でもやっぱり進路を決めるときに「絵しかない」と思ったんです。

―別々のバックグラウンドを持っていても共通の言葉があるというのは、貴重なことですよね。

COBRA:僕の「COBRA」という名前は本名ではないので、僕としては作品だけじゃなく「COBRA」自体がひとつの作品なんですよ。「COBRA」はMIHO KANNOができて、千葉君に展示をやらないか? と誘われたときに始めたんです。だから実質2歳くらい。まあ、2歳にしてはすごいしゃべれてるからいいかなって思いますね(笑)。

※清田亮平はMIHO KANNOのデザイナーとしてブックレットやHPの制作を担当している。

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