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アートは社会とつながってる!
〜超ザックリ! 現代日本の社会と美術の関係〜
(構成:杉浦太一)

アートと自分の生活…。一見何の関係性もなさそうではある。
しかし、アーティストだって今を生きる人だし、むしろアーティストほど時代の匂いを敏感に嗅ぎ取っている存在はないのではないか? そこで、本当にアートは社会と、ひいては自分たちの今生きる時代・生活と深く関係しているのかを、各年代の先生たちに聞いてみることにした。1960年代から2000年代まで、日本社会とアートシーンの流れを、教えて下さい!

1960年代
あきらめ知らずのロマンチスト

1970年代
次、どこ行く?

1980年代
消費されていくがままに・・・

2000年代
アートが「アート」を越えるとき

1960年代
あきらめ知らずのロマンチスト

 

Takashi Murakami
Reversed Double Helix, 2003
二重螺旋逆転
Urethane paint, fiberglass and Steel
7000 mm
Courtesy Marianne Boesky Gallery, New York
(c)2003 Takashi Murakami/Kaikai Kiki Co., Ltd. All Rights Reserved.
Photo by Tom Powel

03年9月、ニューヨークのロックフェラーセンターに突如姿を現し、大きな話題を呼んだ。

奈良美智
Little Ramona
2001
acrylic on cotton
h.130.3 x w.96.8cm

かわいくもあり、残酷そうでもある。そんな矛盾をはらみながらも存在する様が、現代を生きる人々に大きな共感を呼んでいる。

Aya Takano
Mail Mania Mami, Standing in a Storm, 2001
手紙魔まみ/台風の中にたっていた
Acrylic on Canvas
606 x 410 x 20 mm
Courtesy Galerie Emmanuel Perrotin, Paris & Miami
(c)2001 Aya Takano/Kaikai Kiki Co., Ltd. All Rights Reserved.

多くの荷物を持ちながらも、裸で立つ少女。その目はどこか不安げだし、自信に満ちてもいる。

会田誠
あぜ道
1991
パネル、和紙、岩顔料、アクリル絵具
73x52cm
豊田市美術館蔵
(c) Makoto AIDA
Courtesy Mizuma Art Gallery

少女の頭皮とその先に続く道が同化しているように、少女が子供から大人になるべく(外界と同化する)敏感な瞬間を豊かに表現しているように見える

小沢剛
「たそがれ地蔵建立 1998年12月18日−1999年1月14日」
展示風景:「MOT アニュアル 1999 ひそやかなラディカリズム」 東京都現代美術館
撮影:上野則宏
提供:オオタファインアーツ

世界各地でゲリラ的に(密かに)「地蔵を建立する」というドキュメント的写真作品群を見るため、布団の山を登っていく作品。

松蔭浩之
BEER, SEX, MY LIFE
1994
(c) Hiroyuki MATSUKAGE
Courtesy Mizuma Art Gallery

タイトル通り、バブル期の雰囲気から脱却できないもどかしさをくすぐられつつも、女性の所在不明感漂う服装も気になってしまう・・・。

Yasumasa MORIMURA

肖像(ゴッホ)Portrait (Van Gogh)

1985

Type C print

frame 123x102.8x3cm, sheet 120x100cm, image 84.5x82cm

unique

copyright Yasumasa MORIMURA

courtesy SHUGOARTS

Yasumasa MORIMURA

肖像(双子) Portrait (Futago)

1988

タイプCプリントに透明メディウム Type C print, transparent medium

210x300cm

copyright Yasumasa MORIMURA

courtesy SHUGOARTS

福田美蘭
湖畔
作家蔵

※上3作品をまとめて下記コメント
誰もが知る名画を模倣しながらも、ズラすことにより、新たな経験や気づき、可能性に気づかされる作品たち。

堀内正和
半分よこむく立方体
1975年
ステンレス・高さ120cm
東京都現代美術館

※以下2作品、差し変わる可能性あり

菅 木志雄
無限状況
1970年

榎倉康二

1971年

岡本太郎
明日の神話(一部)
1968年

2003年メキシコで発見され、1年間の修復を経て2008年に一般公開された作品。縦5.5メートル、横30メートルの巨大壁画。

横尾忠則
腰巻きお仙
1966年
東京都現代美術館

唐十郎の芝居のポスターの作品。今なおパワフルな活動を続ける横尾氏の初期作品だ。

篠原有司男
ボクシングペインティング
撮影:ウイリアム・クライン

何かを破壊していくかのように、ボクシングをしながら絵を描く。ポカリのCMで福山雅治と共演していたのを覚えている人もいるのでは?

この時代に青春を生きた世代は今、50代中盤から60代のオッサンだ。どうだろう? 会社でこれくらいの上司と飲みにでも行けば、「おい、俺の若い頃はな」とはじまるのではなかろうか? それもまぁしょうがない、実際、アツかったのだろうから、聞いてやってほしい。

テレビが○○君のウチに届いたと言って近所の人々が群がってくるという、『三丁目の夕日』的な1960年代は、敗戦のバネから高度成長に向かって大はしゃぎの時代。「テレビや自動車を我が家へ!」と、ここまで共通の目標をみんなが掲げられる時代は、今考えればとてもうらやましくもある。オリンピックが東京に来たのもこの頃。それはそれは、元気でないはずがない。

一方、ベトナム戦争への反対運動や学生運動の活発化、LOVE&PEACEを謳うヒッピーが繁殖したのもこの時代。経済成長という人間の欲求と、「いい生活を送るのもいいけどさ、大事なモンも忘れちゃいけないだろ!」という正義が共存できることを信じてやまない、ロマンに満ちた、まるで思春期のような10年だった。

ということで、やはりこの時代、アートもアツかった。学生運動とも結びつく形で、「何が本当の芸術なんだ!?」をマジに追いかけていた10年。「反芸術」という言葉が流行し、「既存の芸術の枠組みなんてつまらねぇよ、そんなのアートじゃねぇよ!」というエネルギーに溢れた時代。日宣美(日本宣伝美術会の略。原弘、山名文夫、新井静一郎、亀倉雄策、河野鷹思ら約50名によって1951年にスタートし、毎年公募形式の展覧会を行なって新人デザイナーの登竜門的存在となる。戦後、日本のグラフィックデザインの成長を大きく担った。)の積極的な活動や横尾忠則はじめ、アートとデザインが強く結びついていた時代でもあり、アートを「反社会的なひきこもり」とせず、デザインを「クライアントの言うことばっか聞く商業主義」とも片付けない、経済と芸術の共存を目指していた。


1970年代
次、どこ行く?

ビートルズ解散、三島由紀夫の割腹自殺、ジミヘンやジャニスの死というネガティブなムードではじまった1970年代。学生運動も沈静化し、60年代までに若者が抱いていた「俺もやってやる!」的な理想やロマンが、「やっぱダメかも」という帰結に至ったことは、男性の茶髪化が流行したというナヨナヨ化現象からも容易に見てとることができる(ちなみにユニセックスな男子を輩出し、女性の関心を未だ独り占めしているジャニーズ事務所は1962年に開業している。さすがジャニーさん、予知能力があったのかもしれない・・・)。

経済成長ひとまず一息ついて、さぁ次はどうしようかな、どこに向かって行こうかな、と誰もが思っていたに違いないこの試練の時代、万博の開催やドラえもんとガンダムの放送開始という近未来的な体験に、現実逃避的な飛びつきを見せたのも、もしかすると必然なのかもしれない。そして70年代中盤以降のピンクレディーの流行や「およげ!たいやきくん」のマンモス的ヒットは、この「どうしようかな?」に対し、「消費社会を作り上げていくぜ!」という一つの意思表明のようにも見え、来るべき80年代を予想させる出来事だった。

さて、日本のアートシーンはこの頃、どうだったのだろうか? 正直、この頃の日本のアートシーンにあまり大きなトピックは見当たらない。60年代に溢れていたエネルギーが弱くなり、「とりあえず毎日毎日鉄板で焼かれていようよ」というタイヤキ君的な社会にあって、アーティストたちはもはや社会との関わりを持つことをあきらめるしかなかった。消費社会を目指す社会と決別し、ひたすらに自分たちの表現を追求していくしか道がなかったのだ。音楽で言えばそれがアナーキーなパンクであり、ビートルズに代表される「最も売れている音楽=良い音楽」だった時代が終わったことを教えてくれる。アートシーンも、60年代後半から70年代にかけて盛んだった「もの派」は、芸術性を純粋な自然物に求めた動きであった。「見た目」としての芸術性はさておき、半ば「もうこの社会、手に負えないよ」という自然(物)への依存と社会への抵抗としての動きだったのではないかと思えてしまう。


1980年代
消費されていくがままに・・・

80年代と言えば、ダブルスーツを着たオッサンが高級倶楽部でタバコをくわえている絵を想起する人も多いかもしれない。そう、この頃の日本は、バブルでお金が溢れていた時代なのだ。ファミコンが販売されて大人も子供もスーパーマリオに首ったけ。ディズニーランドが開園したのもこの頃だし、とんねるずやダウンタウン、ウッチャンナンチャンなど、未だ色あせない笑いの天才たちが出現した。「ミュージックステーション」も86年から放送を開始し、あらゆる物事がエンターテインメント化し、ひたすら消費しまくることにみんなが一生懸命だった。外からは「イエローモンキー」と揶揄されたりもするが、当人たちにしてみれば、それはそれは楽しいひとときだったのだろう。

時代が消費をあおるのであれば、とりあえずそれを満たしてあげないと、何もはじまらない。お腹がへっていれば、なんだっておいしく感じるものだ。作る側からしてみれば、どれだけ効率的にモノがつくれるか、そしてそれをスムーズに流通させるかが大事になってくる。当時のアートシーンも、まさにこの風潮に呼応していた。

「ポストモダン」が掲げられたこの時代、作品のオリジナリティーや個性が最重要だったこれまでのアートに対して、「もはやオリジナルな作品なんてありえないし、パクったりするのもアリだよね」という考えが生まれてくる。それが再び社会とアートが結びつく唯一の方法でもあったのだろう。音楽の分野でもリミックスやサンプリングが多用されはじめ、過去の引用やパクりの組み合わせをすることは、実はコピーではなく、「それも、いや、それこそがオリジナルだよね」という考えが世界的に広まった。膨大な過去の遺産をパクることで社会の消費への欲求を満たしていた時代であり、逆に言えば、そのパクりに新たな解釈をのせることで、「あれ、消費物のクセに何か違う」という非常に有効な方法論だったように思える。そしてもちろんこの手法は、現在の私たちにおいても、十分に機能するアプローチだと思う。

 


1990年代
失われた10年、ではなかった

浮かれきっていたバブルがはじけた90年代初め。それまでの消費社会への舵取りがこのような結末をたどるとは誰も予想していなかったに違いない。急激な変化に耐えきれず、バブルに未練を残してジュリアナ東京のお立ち台でウハウハしてみても、やっぱりすぐに現実を突きつけられてしまうのだった(ジュリアナは91年にはじまり、94年に閉店)。「この路線じゃダメだったかぁ・・・」という社会不安から、不登校やひきこもりが問題になったり、オウムによるサリン事件が発生し、90年代を「失われた10年」と呼ぶことも多い。しかし、そう簡単に片付けてしまっては、未も蓋もないじゃないか。

70年代の「次、どこ行く?」的な迷いの時期と似たような状況ではあったが、70年代の日本には、アメリカというお手本があったから、一生懸命その真似をして消費社会を作り上げてきた。が、今回ばっかりはお手本はどこにもない。そんなにすぐに方向は見当たらないから、小室ファミリーという松葉杖を借りながら徐々にリハビリをし、「リアル」という言葉が流行るほどに自分たちの今を模索するようになった。

アートシーンもそうした動きに足並みをそろえ、今まで欧米の図式でしか語られることのなかった「美術」がアジアをはじめ様々な文化に注目するようになったことで、日本が独自の路線を歩む土壌も整ってきた。そして、この時に頭角を現したのが、70年代というもう一つの迷走の時代に少年期を過ごしてきた作家たち。当時は傍観者として子供ながらに時代を見すえ、今度は当事者として自分たちが道をつくっていく。ここで掲載されている3名の作家は3人とも1965年生まれで、「昭和40年会」というユニットにも所属しており、堅っ苦しい既存の「美術」を覆すような作品で活発な活動を行っている。


2000年代
アートが「アート」を越えるとき

ようやく私の出番。2000年代だな。インターネットが普及して情報は瞬時にゲットできるし、iPodで好きな音楽をいくらでも垂れ流すことができるくらい、人々の生活は便利の極みに至った。物欲はやっぱり消えないけど、ひとまず満腹を迎えた次は「エコ」という名の消費対象を見つけてみたりもして、欲求と正義が絡み合った、もう善悪の基準がよくわからない複雑な時を迎えている。それでもきっと、何十年後かにはこのように、誰かが勝手にこの時代を語ったり名付けたりするのだろうと思うと、ちょっと安心してしまう。

一気に世界的なアーティストにのぼり詰めた村上隆が90年代末に提唱した概念である「スーパーフラット」は、まさにこの社会全体を言い表した言葉のようにも思える。この「スーパーフラット」が意味するのは、見た目として立体感の少ない二次元的な作品が多いという単なるトレンドとしての「フラット」ということだけでもない。今やアングラもメジャーもない、大企業やライブドアのような急成長企業が一夜にして消え去るような時代に、絶対的に信仰できる価値観がもはやないことを表した言葉のようにも思える。

そんな今、誰が見ても親しめるマンガやイラストのような作品が多い。世界的にも日本ブーム再来と言われており、日本的な作品は欧米諸国からすごい人気だ。ただ、そこに描かれているのは単純なマンガでもなく、イラストでもない。

街中にカメラが設置され、タバコは認証カードがないと買えないような管理社会。そこまで管理してるのに、自分を守ってくれるような安心感はむしろ消えていきつつある。そんな、先進各国が共通して抱える不安や悩みを感じさせるような少女が描かれた作品もあれば、消費し過ぎてプクプクに太ってしまったモンスターのような作品もあり、今、ぼくたちが一度立ち止まって、じっくりと考えてみる必要があることを教えてくれる作品がとても多いのに気づく。「もっと広く伝えたい!」という想いを、そもそもこの時代のアーティストは強く持っているのではないかと思うのだ。そしてもちろん、受け取る側だってモチベーションは高い。

今、アートシーンでは大きな変化が起きており、マーケットは急速に拡大している。若手もどんどん起用され、今までに絵を買わなかった人がギャラリーに訪れたりもするらしい。アートが難しいものではなく、今を生きる人々の感性や価値観に響くものであることが広がっているからこその好況なのだと思う。アートがもっと生活に身近なものになっていく日は、そう遠くないんじゃないか。

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