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KOSUGE1-16インタビュー

インタビュー・構成/いくよさおり
撮影/井手聡太

【リード文】
2008年に岡本太郎賞を受賞したKOSUGE1-16は、土谷享と車田智志乃によるアーティストユニットだ。受賞作である「サイクロドロームゲームDX」など、彼らが作る巨大な作品を前にすると、どんな大人でもいつの間にか参加したくなってしまうのは不思議なところ。ワークショップも数多く企画するKOSUGE1-16の、観客を「参加」させるためのアイデアはどこから生まれるのか? 土谷享に伺った。

2008年、第11回岡本太郎現代芸術賞でグランプリにあたる岡本太郎賞を受賞したKOSUGE1-16は、土谷享と車田智志乃によるアーティストユニットだ。受賞作である「サイクロドロームゲームDX」や“横浜トリエンナーレでの巨大サッカーゲーム”と記憶している人も多いであろう「アスレチッククラブ4号DX」など、とにかく巨大な作品を前にすると、どんな大人でもいつの間にか参加したくなってしまうのは不思議なところ。ワークショップも数多く企画するKOSUGE1-16の、観客を「参加」させるためのアイデアはどこから生まれてくるのだろうか?

【見出し1】
「もちつもたれつ」みたいな状況をアートとして表現していく

―KOSUGE1-16という住所をアーティスト名にされていますが、小菅に住み始めたきっかけからお伺いしてもいいでしょうか?

もともと車田が住んでいたんですよ。本当は日暮里辺りに住みたかったみたいなんですが、家賃が高いじゃないですか。そしたら不動産屋さんに「北に行きなさい」と言われて北千住で降りて、さらに北千住の不動産屋さんに「小菅なら安くていいんじゃないの」と言われて見つけたのが最初。で、僕は大学卒業するくらいの時から一緒に住み始めて、八年くらい住んでますね。

―KOSUGE1-16という名前にしたのは、地域との関わりの中で作品が生まれているからでしょうか?

KOSUGE1-16というアーティスト名にしたのもたまたまだったんです。一緒に住み始めると作品のネタも一緒になってきちゃうもので、ある展覧会に全く同じネタの作品を出そうとしていたことがあったんです。でも、お互いにどうしても譲れなくて、じゃあKOSUGE1−16という屋号で出しちゃおうというのが、KOSUGE1-16という名前で活動を始めたきっかけですね。僕らは環境に表現させられているようなところがあるので、KOSUGE1−16というのは家の住所の一部から付けましたが、それが後々考えるとシンボリックに当てはまったような気がしますね。

―環境に表現させられるというのは、具体的にどういったものがあるのでしょうか?

小菅って、下町的なご近所付き合いが残っているんです。家に帰るとポストにおかずが入っていたりという、近隣の人同士の、程よいプライベート空間の越境行為があるわけですよ。そういうのが嫌な人は嫌かもしれないけど、僕らの場合は心地良かった。そういうこともあって、ご近所づきあいの「もちつもたれつ」みたいな状況をアートとして表現していくことにしたんですね。だから、ぼくらの作品は、作ったものに参加者がいたり、観客が手を下さないと成立しなかったりするものが多いですね。

【見出し2】
クラブ型のようなアートのあり方ができればいい

―ご近所づきあいの要素がアートになるとは面白いですね。

例えば紙相撲のワークショップを各所でやっているんですが、力士を作ったら力士の名前を商店街のお店の方々につけてもらったりしているんです。たとえば2007年の暮れに西巣鴨で紙相撲をやった時、子供が全身をアルミホイルで包んだ力士を作ったら、それを見た魚屋さんが「何だそれは、銀ダラか」って言って、そのまま「銀ダラ関」という名前になっちゃって。そういう偶然性の出会いをワークショップのプログラムの中に入れているので、大会の時には関わった人はみんな来てくれます。紙相撲を叩きにね。

[ここらへんに紙相撲の画像が入ると良いかも?]

―まさに、参加者がいないと成立しないアートですね。それには、どのくらいの人が参加されたんですか?

体育館に400人くらい来てくれました。ちゃんこ鍋も出したし、飲み放題だったという事もありますが。要するに相撲ってスポーツと違って観戦の姿勢が花見的な要素が多いと思うんです。飲み食いしながら、勝ち負け関係なく楽しめる。だから僕らの巨大紙相撲もお祭りみたいなワークショップです。下は1歳から上はおじいちゃんおばあちゃんまでみんな叩いていました。僕らの理想をスポーツでたとえると、クラブ型のようなアートのあり方ができればいいと思っていますね。プレイするだけじゃなくて、見たり語ったりお互いに支えたりというアートのあり方。

―KOSUGE1-16の作品には制作に多くの人が関わってくるものがありますが、そうした作品の制作スタイルについて教えてください。

[ここらへんにサッカーゲームの画像が入ってもよいかも?]

たとえば以前作った巨大なサッカーゲームの作品なんかは、当然一人じゃ作れないので職人さんに協力してもらっています。でも最初は職人さんに目も合わせてもらえなくて大変でした。こっちが話そうとしても、顔も見てくれないでずーっと作業している。そしたらある日突然、「君らがやっているのは変なことだから、僕らの組合で一回アートだかなんだかを授業してくれないか」と言われて、彼らの組合で、印象派から現代アートまでの授業をしたんです。そうしたら面白く思ってくれたみたいで、小さい仕事から少しずつお願いできるようになりました。でも職人さんたちにとっては全くお金にならない作業ですから、面白いと思ってくれるような作品でないと動いてくれません。だから語ったり支えたりの実践を共有していくというのが大切と思うんです。自転車に乗ってみんなで落語やバーベキューに行く「自転車部」というサークル的活動も交えたりして(笑)。

【見出し3】
関わってくれた人みんなが自分の作品だと思ってくれている
―いろいろな人の関わりの中で何かをつくっていくことが、KOSUGE1-16の作品になっているんですね。

たぶん関わってくれた人みんなが自分の作品だと思ってくれている様です。見え方はKOSUGE1-16となっていますけど。でも、職人さんはアーティストではないですし、彼らにはものをつくるプロであって欲しい。アートっていうのはモノを作るだけではなくて、その見せ方などにも意識的じゃないといけないですよね。関わった職人さんにとって作ったものがアートであれ工業製品であれ、自分が手を下したものが外に出て行くことは嬉しいことだと思うんです。彼らにとっての一番のリスペクトは僕らが懲りずに、どんどん前進していく、一緒に成長していくことだと思うんですよね。だから僕らも常に軌道修正しなくちゃいけない部分を見つけながら仕事しないと、と思っています。

―KOSUGE1-16はLLP(有限責任事業組合)ですけれども、なぜLLPにされたのでしょうか?

海外の作家は自分のマネジメントの会社を持っていたりするんですが、日本のアーティストで自分の会社を持っている人は少ないですよね。海外の場合、アートがモノを作るだけじゃなくて、打ち出していかなきゃいけないという想いがあるのでしょうけど、僕らはそういう教育を受けていないので、何か物足りなさがあって。まあKOSUGE1-16も会社みたいになれば理想的だなと思っていたのですが、単純に会社にする資本がないわけです。でもLLPだったら責任も有限だし、法人格じゃないけれどもそれに類する社会的な見え方をすることができるということでLLPを選んだんです。LLPって社会的には個人事業主とほぼ同じなんですけど、個人事業主にするなら組合の方がいいかなと。

―LLPになったことで、何か変化はありましたか?

LLPにした事で職人さんたちと仕事はしやすくなりました。最初はKOSUGE1-16も含めた大きな組合で、いつも手伝ってくれている大工さんとか金属加工の職人さんも構成員にしようと思ったんですよ。ただそうすると彼らの負担が増えるので今のままでいいかと。でも職人さんは自分の私生活も犠牲にして制作に関わってくれているから、作品発表する時にせめてクレジットだけでもいれたいと思うんですけど、「KOSUGE1-16+… …」と書いていったら果てしなくなっちゃう。だからどうしよう、というのが今の課題ですね。たとえば、いろんな人材がいる「チーム」を作っちゃって、「KOSUGE1-16+チーム」という見せ方もいいのかなとか、模索中の段階です。どこかで彼らのアイデンティティを保ちながらアートと関わるか、という仕組み作りは課題ですね。

―制作プロセスにも参加者にも、ごく普通の人々が介在している。まさに地域のためのアートと言えると思います。KOSUGE1-16として、アートは何のためにあると考えられているのでしょうか?

それは、プロジェクトごとに違いますね。モダンアートから派生している「アートのためのアート」みたいなのが、ここ数十年続いてきたと思うんですけど、結果的には何のためのアートなのかわからなくなってきている。そうなってきた時、アートって「〜のため」というような、何かのパーツになるんじゃないかなという気はします。今、豊島区、文京区を中心としたサッカーのローカルなユースリーグ「DUOリーグ」と、参加型のトロフィー制作のプロジェクトに取り組んでいるんですが、スポーツ教育もアート教育と一緒で文化的に様々な問題を孕んでいます。高校生でたかだか3年やっただけで「引退」という言葉を使うのも、スポーツは文化であるのにかなり不思議な状況だと思います。一回プレイを身につけたら死ぬまでできるし、自分がプレーできなくても、後から来る人たちを支えたり環境を作ったり、いろんなサポートができるはずなんです。だけどそこまで現場ではなかなか行き着いていない。そこに、なぜかアーティストの実践が入っているという状況を作ることで、一緒に何か打開できるんじゃないか、と思っています。

web: http://homepage.mac.com/kosuge1_16/

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